ドラマ『御上先生』から考える「考えること」の意味

スタッフコラム

現在放送中の『御上先生』。文科省官僚から一転、進学校の教師となった主人公が放つ「もっと考えろ」という言葉に、私は強く惹きつけられている。

主人公の御上は、官僚派遣制度によって私立隣徳学院3年2組の担任教師となった。東大進学率県内トップを誇る隣徳学院の生徒たちは、突如現れた「官僚教師」に戸惑いと反発を隠さない。

御上は、学園ドラマでよく見る「理想の教師像」からはかけ離れている。時にヒールのように挑発的な言葉を投げかけ、生徒たちの感情を揺さぶる。生徒は、彼の真意も目的も測りえない。

そんな御上が何度も繰り返す言葉が「もっと考えろ」だ。

ある生徒が、学校新聞に教師の不倫を暴露する記事を掲載し、女性教師を退職に追い込んだ。御上は、その生徒に数枚の写真を差し出した。そこには、学校を辞め、コンビニで働いている元教師の姿が写っていた。

「なぜゴシップ記事にするときに想像力を働かせなかった?」

生徒は「不倫するような教師の人生なんて関係ない」と吐き捨てる。しかし御上は諭すでもなく、ただ問いを投げかける。「なぜ辞めたのは女性教師だけだったのか」。

さらに御上は「バタフライエフェクトを知っているか」と問う。蝶の羽ばたきが遠く離れた場所で竜巻を引き起こすように、些細な行動が予期せぬ大きな影響を及ぼすことがある。一本の記事が、どれだけの人生を狂わせることになったのか。

「そんなの考えても意味がない」

多くの口にするその言葉に対し、御上は「考えろ」という。なぜ彼はここまで「考えること」にこだわるのか。生徒が書いた「学校新聞」という羽ばたきが、どういう影響を引き起こしたか。彼はそこまで考えて行動したのか。あるいは今、そのことについて考え続けているのか。

ドラマの中で、御上が生徒に「考えろ」というたび、生徒たちは立ち止まり、考え始める。例の学校新聞を書いた生徒は、再び取材を始めた。自分に見えていなかったものは何だったのか、それを確かめるために。

これまで私は、「考えること」を重視してきた。私が見ていなかったもの、想像しなかったもの。この世にはそんなものがたくさん落ちていて、いつもそれを見過ごしているような気がするからだ。

見えていないものがあれば、なるべく拾いあげたいと思うのは、単なる私の好奇心なのかもしれない。しかしその一方で、知らないからこそ無視していたもののなかに、誰かの苦しみや悲しみが閉じ込められていたとしたら、それを知らずに通り過ぎたくはない。

考えることは、それほど大事なことではないのかもしれない。それでも私は、考え続けることで世界の見え方を変えていきたい。御上が「考えろ」と言い続けるのは、それが人を、そして社会を変える第一歩だと信じているからなのかもしれない。

井上 真花(いのうえみか)

井上 真花(いのうえみか)

有限会社マイカ代表取締役。PDA博物館の初代館長。長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都台東区に在住。1994年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「マイカ」を設立。主な業務は、一般誌や専門誌、業界紙や新聞、Web媒体などBtoCコンテンツ、および広告やカタログ、導入事例などBtoBコンテンツの制作。プライベートでは、井上円了哲学塾の第一期修了生として「哲学カフェ@神保町」の世話人、2020年以降は「なごテツ」のオンラインカフェの世話人を務める。趣味は考えること。

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