『御上先生』で考えた、考え続けるということ

レビュー&コラム

2025年3月23日、最終回を迎えた『御上先生』。この番組が放送されるたび、私はテレビに映し出される彼の姿に、何度も考えさせられてきた。

「考えて、自分の頭で」

先生がこのドラマを通して繰り返し言い続けた、この言葉。最終回を見終えた今、ようやくその真意が私の中で形になってきたように思う。

正解を求めるのではなく

御上先生が言う「考える」とは、正解を出すことではなかった。

正解がでなくても諦めず、考え続けることの大切さ。それは時に苦しく、時に心が折れそうになる道程だ。なぜなら、この世界には簡単に答えの出ない問題があまりにも多いから。

学校新聞の一件で、ある生徒は教師の不倫を暴き、女性教師を退職に追い込んだ。「不倫するような教師の人生なんて関係ない」という言葉の裏には、簡単な答えに逃げ込みたいという気持ちがあったのではないだろうか。善悪をはっきりさせ、そこで思考を止めてしまうこと。

しかし御上先生は「なぜ辞めたのは女性教師だけだったのか」と問いかけた。そこには、もっと深く考えてほしいという願いがあった。

The personal is political

「個人の問題は政治の問題」

彼がもう一つ繰り返し口にしていたこの言葉。最初は難解に思えたが、今は少し分かる気がする。

私たちの社会には弱者がいる。困っている人、泣いている人がいる。でも、私にはどうすることもできない。では、そこで諦めてしまうのか? なにもできないから目を背けるのか?

御上先生は「考えろ」と言い続けた。「正解が出なくてもいい、考えて、自分の頭で」。それこそが弱者に寄り添うということなのだと。

個人の痛みを見て見ぬふりをしない。それが社会を、政治を変える第一歩なのだと。

エリートの本当の意味

御上先生が伝えたかったのは、「エリート」という言葉の本当の意味ではなかったか。

エリートとは単に頭がいい人、高学歴な人のことではない。自分の利益のためではなく、他者や物事のために尽くせる人。社会の中で声を上げられない人たちの声に耳を傾け、その痛みを想像できる人のこと。

隣徳学院の生徒たちは、県内トップの進学率を誇るエリート校の生徒たちだ。でも、御上先生が求めたのはそういう意味でのエリートではなかった。弱者の声を聴き、その立場に立って考えられる人間になってほしかったのだ。

なんのために考えるのか

「なんのために考えるのか。考えるなんて、しんどいのに」

そう問われることがよくある。その度、私は「考えることが好きだから」「楽しいから」と答えていた。

でも今度からこう言おう。「諦めたくないから」と。

この世の中には、どうしようもなくつらいことがたくさんある。それを見るのはつらいから、目を背けたい。自分ではどうしようもないと知っているから、諦めたい。そう思ってしまう気持ちは、とてもよくわかる。

でも、どうしようもなくても見る、考える。御上先生が言いたかったのは、そういう話だったのではないか。

考え続けることは、諦めないということ。弱者の痛みを自分事として捉え、想像し続けること。そして、その想像力を行動に変えていくこと。

「考えろ」という言葉の背後には、そんな願いがあったのだろう。

最終回のラストシーン。御上先生は再び「考えろ」と言った。その言葉は、テレビのモニターを超えて私に届いた。

私も考え続けよう。諦めずに。

井上 真花(いのうえみか)

井上 真花(いのうえみか)

有限会社マイカ代表取締役。PDA博物館の初代館長。長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都台東区に在住。1994年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「マイカ」を設立。主な業務は、一般誌や専門誌、業界紙や新聞、Web媒体などBtoCコンテンツ、および広告やカタログ、導入事例などBtoBコンテンツの制作。プライベートでは、井上円了哲学塾の第一期修了生として「哲学カフェ@神保町」の世話人、2020年以降は「なごテツ」のオンラインカフェの世話人を務める。趣味は考えること。

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