いよいよ大阪万博が始まりました。私はずっとこの日を待っていました。メディアアーティストの落合陽一さんが提唱する「デジタルネイチャー」という思想に強く惹かれ、大阪万博の「null2」パビリオンでその世界観がどのように具現化されるのか、楽しみにしていたのです。
しかし、周囲の反応は予想外に冷淡でした。「なんで今さら万博に行くの?」「税金の無駄遣いじゃない?」「どうせ大したことないよ」…そんな言葉が私の期待に水を差し、悲しい気持ちになります。
確かに、メディアの報道を目にすると、大阪万博に対する厳しい意見が目立ちます。予算超過、建設の遅れ、海外パビリオンの撤退など、ネガティブな情報ばかりが強調され、「盛り上がりに欠ける」「行く価値がない」という印象が広まっているのかもしれません。
でも、本当にそうなのでしょうか。実際に自分の目で見て、肌で感じてみなければ、その真実はわからないのではないでしょうか。
そんな私の疑問に、先日テレビで放送された大阪・関西万博の特集が応えてくれました。番組では、開幕まであと3日に迫った会場の様子とともに、8人の万博プロデューサーの一人である落合陽一さんの1年間にわたる密着取材が紹介されていました。
特に心を奪われたのは、落合さんが手がけるパビリオン『null2(ヌルヌル)』の紹介です。全面鏡張りの空間で、鼓動するように動く壁。その中に足を踏み入れると、壁も天井も全てが鏡の世界へと変貌し、LEDで作られたデジタルな鏡に映る自分とそっくりなデジタルヒューマンと直接会話ができる。そんな未知の体験が待っているというのです。
落合さんは言います。「まっとうな設計じゃない。美術館・博物館として便利なものは作っても意味がない。それを作るなら万博でやる必要はない。博覧会じゃないと見れないものっていうのは今の時代では難しい。ただ博覧会でしか見られないものを作っている」。
この言葉には、彼の強い信念と、万博という特別な舞台にかける情熱が滲み出ていました。
番組では、落合さんが直面してきた「コストの壁」についても触れられていました。華やかな万博のイメージとは裏腹に、空調のない倉庫の片隅で、予算を抑えるために奔走する彼の姿は、泥臭く、しかし真剣そのものでした。追加で必要となった費用は、自ら400社以上の協賛企業を探して奔走したというエピソードには、ただただ頭が下がります。
なぜ、そこまでして落合さんは万博に情熱を注ぐのか。その問いに対する彼の答えは、1970年の大阪万博の熱狂と、岡本太郎氏の「人類全体の情熱が一つとなって燃焼する祭りがあるべきだ」という言葉に繋がっていました。かつての万博には、「ここに来ないと体感できないものを作る」という圧倒的な熱量があった。落合さんは、現代において、そのスピリットを再び呼び起こそうとしているのではないでしょうか。
AIが急速に進化する現代において、落合さんのパビリオンが問いかけるのは、「人間よりもAIの方が賢くなった未来、それでも人類は何者なのか」という根源的な問いです。SNSで誰もが発信する情報が、AIにとっては取るに足りないデータに過ぎないかもしれない。そんな時代に、私たちは何をモチベーションに生きていくのか。
落合さんは、「大きいものを作る必要が今ない」と言われる現代において、あえて「デカいもの」「スゴいもの」「なんだこれ?と思うようなもの」を体感することの重要性を訴えます。それは、スマホの画面越しに繰り広げられる小さな出来事や、誰かの興味を引くためのタグ付けの世界から抜け出し、「ホンモノ」に触れる機会だからです。
万博は、確かに多くの課題を抱えているかもしれません。しかし、その裏側で、落合さんのように、既成概念を打ち破り、新しい価値を生み出そうと奮闘している人々がいることも事実です。彼らの情熱と創造力が結集した先に、きっとそこでしか見られない世界、そこでしかできない体験が待っているはずです。
周囲の冷ややかな声に悲しい気持ちになることもありますが、私はやっぱり自分の目で確かめたい。落合陽一さんが、そして多くのクリエイターたちが、この大阪万博にどんな未来を描こうとしているのかを。批判や懸念があるのは当然かもしれません。しかし、それを乗り越え、前へ進もうとする人々の熱量に触れることこそ、今の私たちにとって必要なことなのではないでしょうか。
だから私は、大阪万博へ行きます。そこで何を感じ、何を持ち帰るのか、今から楽しみでなりません。