●いろんなひとがいるもんだ
薬局で働き始めて、すでに4ヶ月がたった。店にはいろんな人がくる。中には、一瞬我が目我が頭を疑ってしまうほどの方も……なんといいましょうか。まあ、世の中にはいろんな人がいるもんで。
●あたしを見てよおばさん
「ちょっとあなた」
カウンターで納品書の確認をしていた私は、その声に顔をあげた。
「はい、いらっしゃいませ」
そこに立っていたのは、推定40半ば過ぎの有閑マダム風の女性。なぜかカウンターから少し離れた場所で、軽く腰をひねったポーズをとっている。
「ねえ、あなたちょっと見てよ」
「はい?」
なにを見ろというのだろう。きょろきょろ彼女の周辺を見渡すが、特に目をひいたものはなかった。
「あのー、なにを見ればよいのでしょうか? 」
おそるおそるその女性にたずねる。彼女はなぜか、まだ腰をひねったままである。
「んもお、なに見てるのよ。ほら、わたしわたし」
「はい、お客さん」
ばかのように繰り返す。見たぞ。見たけど、それでなにを言えばいいのだろう。
「ね、わたし、どう?」
「あ、あのお客さんですか?」
もう一度彼女の全身に視線を注いでみる。ことによるとこれは、なにか誉めろってことかもしれない。どうしよう、どうしよう。はっきり言いましょう。彼女には、取りたてて誉めるべきポイントがなかった。どこから見ても、普通のマダムである。まあ、服には金かけてるなあってことはわかるけど。ここはひとつ、服ほめとくか。
「素敵なお召し物ですね〜」
「1900円のバーゲン品。見る目ないわね」
沈黙。笑顔が凍りつく。
「ちっがっうでしょ〜もう。服じゃなくて、中身よ中身! ほら、わたし、どう? 」
どう、っていわれたって……なんて答えればいいのよ。泣きそうである。
「ヒントは……」
全身冷や汗。
「ヒントォ? もうーやんなっちゃうよねえ。わたし、変わったでしょ?」
変わったでしょっていわれたって、わたしはその人と今日初めて会ったのだ。無茶を言わないでほしい。
「変わったでしょっていわれましても、私お客さんとは初めてお会いしたんですから」
彼女は聞いちゃいない。じたんだを踏むマネをして、奥のたなへ走っていった。今度はなにを始めるつもりだ。もうすっかり納品書どころでなくなってしまった私は、書類をしまって応戦に備えた。
「これよこれ」
彼女は、手にダイエット商品を握ってもどってきた。
「あたし、これ買って飲んだのよね。で、あたしどうなった? ね、どうなった? 」
ははーん、やせたっていってほしいんだ、この人は。でも前にも言った通り、そもそも昔の彼女をわたしは知らない。
「素敵ですよ。とてもお元気そうで」
うそはつけないのである。やせたかどうかは知らないけど、元気いっぱいに見えるのはうそじゃない。
「かぜひいてるのよ」
「……ああ、そうですね。だからちょっと頬が赤いのかな。お熱があるんでしょうか」
「ううん、熱はないの。それよりほら、わたしどうなのよぉ」
助けてくれ〜。
彼女はさらに腰をくねらす。どうしても、わたしに嘘をつかせたいらしい。
「そうですね。素敵なプロポーションで」
汗びっしょり。もうこうなったら、閻魔様に舌ひっこぬかれてやる。
「そう? まだ一週間しか飲んでないんだけど」
……ううううううう。どついたろかこいつ〜と思うけど、そこは商売。ぐっとこらえるが、手のこぶしは確実に震えている。
「じゃあね、次の問題いきます」
勘弁してくれよお。カウンターのこちら側に座り込みたい私。
「今日わたしは何を買いにきたのでしょうか?」
この人、完全に遊んでる。くそう、負けてちゃいけない。わたしは果敢にも迎え討つ決心で立ち上がる。
「そうですねー。ダイエット成功だから、次は内側からきれいにビタミン剤かなっ? 」「ぶぶー」
彼女は再び、奥のたなへ走る。
「これでした〜」
果たして彼女が手にしていたものは、さらに大きいサイズの、同じタイプのダイエット商品だった。
「もっとやせるわよ〜」
彼女の笑顔の前に、砕けちる私であった。
●やってみてよおばさん
「これ、どうやって使うの?」
そのおばさんは、カウンターでいきなりヘアカラーの箱を開き、中身を全部広げてしまった。止める暇もない。あっけにとられている私に、彼女は繰り返す。
「これ、使い方わからんのよー。ねえちゃん、悪いけどここでやってみてくれん? 」
「ここで、今……ですか? 」
ご存じのように、ヘアカラーは2種類の液体を混ぜ合わせ、髪を染める液体を作る。この液体は、作ってすぐに使用しないと品質が変わってしまい、だめになる。だから、このカウンターで二つの液体を混ぜてしまうと、そのままここで髪を染めてしまわなくてはいけなくなる。そうなってしまうと、営業上ひじょーに困る!
「あのお客様。これは、作ったらすぐに使わなくてはだめなんで、今ここでお作りする訳にはいかないんです」
答えながら、さりげなく中身を元通り箱に戻そうとする。が、彼女の手にはしっかりと商品が握られている。
「あ、そうなの? でも教えてよ。これは、どこにつけるの?」
やめる気配はない。しょうがないので、取り扱い説明書を広げる。ま、いいや。これを買ってくれるんだろうし、私が黙っていれば、大竹に知られることはないだろう(ラッキーなことに、大竹はその時お昼休みで出かけていたのであった)。ここはせいぜいしっかりと使用方法を教え込み、お得意さんになってもらおうとそろばんをはじく。
なんてことを考えているうちに、おばさんはいろいろ商品をいじりはじめる。
「これをここにつけるん?」
適当な部品を適当な場所にくっつけてる。およそはまりそうにない場所にはめる、それも力ワザで。そんなことしてたら、壊れるぞ。慌てて私はそれを彼女から取り上げる。
「違います。これはここに……」
いくつかポイントを図で示しながら、丁寧に説明する。ふんふんふん、と彼女は気がなさそうに返事をする。絶対にわかっていないと思うけど、聞く気がないならしょうがない。
「ふうーん。ありがと。なんかわかったわ。ありがと」
手を振って、カウンターから離れ、出口に向かうお客さん。
私の前には、無残に広げられたヘアカラーがまだ散らかったままである。
「あのーお客さん! これ、どうするんですか?」
慌てて彼女を呼び止める。おいおいおい、ほったらかしは勘弁してくれえ。これ、買ってくれるんじゃなかったの?
「ええ? ああ、それと同じのうちにあるから、いらへんわ。ありがとね」
なんでもなかったかのように、出口の外に消える彼女。ちょっと待ってよ。じゃ、さっき2つの液体をあなたに言われるがままに混ぜ合わせてたら、どうなっていたのよー。これで、誰の髪を染めろというの。慌ててドアの外に走り出すけれど、おばさんは驚くべき速さで店の外から消え去っていたあとだった。
悔し涙にくれながら店に入ろうとすると、店の中にはカウンターのありさまを見て、怒りに震える大竹の姿があった。
◆執筆者後記
薬局に訪れるお客さんの8割が、風邪薬を買っていく季節となった。イソジンのうがい薬についているカバの指人形、なぜか大人気。おやじ風の男が、「これいいなあ」とつぶやく。「どうぞ」と差し上げる。なんか恐い。