● MacがIBMに負けた訳
我が家には、パソコンが三つある。Macintosh、Windows、DOSと、タイプも勢揃いだ。「あとは98とTOWNSね」とつぶやいたら、旦那に無視された。コレクションはできないようだ、ちぇ。
いつも私が使っているのは、IBMのThinkPad230Cs。ここには、Windows3.1が入っている。が、普段はDOSでVZを使ってなんでも処理しているので、Windowsを使っているとは言えない。VZのマクロは、2400でアクセスしても、ダウンロードに2分とかからないほどミクロサイズだ。だから、ハードディスクはいつもすかすかだ。これはこれで、贅沢な環境といえるかもしれない。
旦那が使っているのは、MacintoshのLC475。ハードディスクもメモリも、かなり気の毒なマシンだ。だが、本人は「かわいいかわいい」と猫かわいがり状態である。スタートアップスクリーンは弓月光さんのイラストだ。アイコンをクリックすると「うふっ」と笑う仕様になっているらしい。遊びにきた友人に、「趣味に徹している」と絶賛されたことがある。
このThinkPadに、MIDIをつなげようとしたことがある。RolandのSC55MK2をつなげるためには、専用のドライバを組み込まなくてはいけない。組み込むつもりが、いつの間にか入っているものまではずしていたらしい。はずしただけならまだしも、なぜかドライバそのものを削除してしまったらしいのだ。MIDIどころか、WAVEサウンドまでならなくなってしまった。DOSを使っているうちはそれでもいいのだが、ひとたびWindowsの世界に入ると、音がないのは我慢できない。音のならないWindowsのちゅーちゅーまうすは、実に情けない。
どうにか直らないものかと、通信でダウンロードしてきたドライバを色々入れ替えてみたが、状態は回復しなかった。唯一どうにか音がなるドライバを見つけたが、これを組み込むとちゅーちゅーまうすが「じゅーじゅー」と鳴く。げんなりした。が、無音よりはマシだ。しかたなく、そのドライバのまま数ヶ月を過ごした。
今年に入って、ふと保証期間のことを思い出した。保証期間なら、ただで修理してもらえる。主婦は、とかく「ただ」に弱い。早速メーカーに電話をして、引き取りに来てもらった。
「美加、ThinkPadないと原稿書けないやんか。どうするんや」
心配する旦那に、Macintoshを指さして言った。
「これ、貸して」
「あ」
その夜、Macで通信していた旦那が短く声をあげた。見ると、Macintoshの画面が大きく歪んでいた。
「壊れたかな」
旦那のつぶやきに、血の気がひいた。今この子がやられてしまっては困る。
「ぶってみたら直るかも」
蹴飛ばそうと出した私の足を、押さえつける旦那。
「余計に悪くなるやろ」
技術者である旦那は、今こそ俺の出番とばかりに腕まくりし、張り切ってあちこち触りまくり、リセットしまくった。が、相変わらず画面は歪んだままだった。数時間が空しく過ぎ、彼はついに音を上げた。
「だめだ。修理に出そう」
「しゅ、修理? どのくらいかかるかな」
「せやな。2週間くらいやろか」
2週間? 原稿締め切りをすばやく計算する私。だめだ、間に合わない。
仕事が、仕事が、仕事が。原稿が、原稿が、原稿が。
ThinkPadを修理に出したことを、激しく後悔する。こんなことなら、もうしばらく「じゅーじゅー」で我慢するんだった。
「やっぱり蹴飛ばしてみようよ」
店に電話する旦那の背中に、未練がましく声をかける私。
しかし、ThinkPadを一度も蹴飛ばさなかった私の蹴飛ばし説は、いかにも説得力不足だった。
こうして、我が家2台目のパソコンが入院することになった。旦那は、Macintoshを店まで車で運んで行った。ThinkPad用の机と、Macintosh用の机が、並んでのっぺらぼうになった。私の胸を、風がふきぬけていった。
「まだ、もう一台パソコンがあるじゃないの」
記憶力のよい読者は、ここでつっこみをいれたいはずだ。
だが、私はまだ残りの一台がどういうパソコンであるかを言っていないということに、お気づきだろうか。
残りの一台。これが、いつも「いい電子手帳をお持ちですね」と間違われてしまうほどに小さい、ヒューレット・パッカード社の手のひらサイズパソコン、HP100LXだったとなると、話は別だろう。
非力である。あまりに、小さすぎる。ハードディスク代わりのメモリカードは、容量が若干10Mで、その中のほとんどはすでにシステムとアプリでいっぱいである。メモリ残量を見たら、すでに1Mを切っていた。
いざという時のために、通信ソフトをインストールしておいたのには助けられた。が、この容量では、通信ログを保存することができない。1日や2日ならどうにかしのげようが、修理はもっと長くかかるだろう。私の心は暗く沈んだ。
しかし、泣こうがわめこうが、今私の所有しているパソコンは、これ一台っきりしかないのだ。ここは腹を決め、これ一台で乗り切る決心をするよりしょうがない。
まず、ファイラーの中身を確認してみた。限りあるメモリだ。無駄な資源は、できるだけ排除しなければならない。ターゲットとなるのは、ゲームのたぐいだ。ゲームなんぞ、なきゃないでなんとかなる。ちと寂しいくらいは、我慢しなくちゃしょうがない。思い切って、ばっさばっさと消去していく。が、先日手に入れた脱衣麻雀ゲームだけは、どうにも捨てることができなかった。軟弱である。
次に、辞書をあきらめることにした。私が入れていたのは英和・和英辞典だったが、総計して約1M。これを一気に削除した。この時点で、すでに残りメモリは2Mを越えていた。これだけあれば、通信と原稿書きに支障をきたすことはないだろう。少しほっとした。
ためしに通信してみた。設定もばっちり。さすが通信の鬼だと、自分を誉める。
ふと旦那が心配になり、姿を探す。そういえば、彼も通信なくては生きていけない人間だった。大丈夫だろうか、人格崩壊を起こしていないだろうか。
ぴぽぴぽという電子音にリビングを覗くと、旦那はすでにドラクエにはまっていた。なんという、適応能力の高いヤツ。なんだか無性に腹が立つ。あたしが死んでも、こいつきっと半年で再婚するな。
「Macintosh、哀れなり」
旦那の背中に、言葉を投げつけてやった。
翌日、100LXで巡回し、メールが届いているのを発見した。何気なく文面に目を走らせる。と、そこには「先日の原稿を大幅に変更したく候」とあった。差し出しの名前を見ると、いつもお世話になっている編集部の人。なにがあろうと、彼の指示にはノーとは言えない。がっくり肩を落としつつ、手作業で通信ログから自分の書いた原稿をダウンロードする。リライトだ、リライトだ。100LXでリライトだ。あまりの不幸続きに、思わずLX系の某フォーラムで愚痴った。が、メンバーの反応は同情の余地もない。
「LXがあれば、できないことはありません!」
ああ、ここに書いた私がばかでした。よりによって、LXをメインマシンにしている凄腕の方々が集まる場所で愚痴るなんて……(sigh)。
しかし、悪いこともそう続くはずがない。
ThinkPadが我が家から消えて3日目。IBMサポートセンターから電話があった。
「壊れてません。ドライバが合わなかったみたいです。ドライバを出荷時のものに戻しますか」
「そうしてください」
「すると、ハードディスクをフォーマットしてしまうことになりますが……」
「だいじょーぶです。バックアップはとりました」
「では、そうします。えっと、そうなると今日、明日中にはお返しできると思います」
私は、自分の耳を疑った。
「え、そんなに早くですか。では、家に着くのは……」
「少なくとも、今週中には」
目尻にうっすらと涙がにじむ。素晴らしい! IBM偉い! すっかり感激した私は、受話器に向かっておじぎをした。
「ありがとうございます! ありがとうございます! これから私、一生IBM製のパソコンしか使いません!」
ThinkPadが我が家から消えて5日目。再び、彼は私の元に帰ってきてくれた。
「えーなあ、おまえは」
そろそろドラクエに飽きてきた旦那は、私が快適に通信している様を見、さすがにいらついてきたようだった。
「僕のMacはまだ直りませんか」
持ち込んだ店に電話してみる。と、意外な返事が返ってきた。
「そうですねー。あと十日はかかりますね」
「なにぃ〜?」
旦那は叫んだ。
店に持ち込んだ時点で、「1週間はかかります」と言われたMac。5日たって連絡してみると、なぜか十日に増えている(笑)。彼が叫ぶのも当然だろう。
「それはないでしょ〜」
すでに泣きそうである。ざまあみろ。ドラクエなんぞに浮気をするから、こういう目にあうのだ。ふふん。
「APPLEの負け、IBMの勝ち」
立ち直れない旦那に、さらに追い撃ちをかける妻であった。
◆執筆者後記
ドラゴンボールもセーラームーンも、どこまでも続ける気らしい。子供たちは大喜びだが、子供たちの親はうんざりしている。ドラゴンボールをずっと録画している友人は、「死ぬまで録画し続けてやる」」と開き直ってしまったようだ。