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人妻日記(6)

■電話ってムズカシイ

 電話の声は、魔法の鏡と同じだ。本人の気付かないところで、その本性を全て明らかにしてしまう。とてもいい人だと思い、長年つきあった知人だったのに、一度電話しただけでげんなりして、なんとなく疎遠になってしまうことが、多々ある。百年の恋が、みるみる色あせたこともある。それだけに、私は電話の声に気をつかう。
 それでも、よく「あら、お休み中でしたのね」とか「お疲れのよう。ごめんなさい」と相手に気遣われることが多い。どうも、眠い時のわたしの声は独特で、すぐにわかるらしい。本人は一生懸命に明るく応対しているつもりなのに、必ず見破られる。これが、けっこう口惜しい。

 こちらから電話をかけた時の、最初の相手の対応は結構気になる。名前を告げた瞬間に、ふと暗い声になってしまうひとがいる。そのあと、いくら明るい声で話をしても手遅れである。私の電話は相手にとって迷惑だったのだ、と思ってしまうのも無理のない話だ。 反対に、名前を告げた途端1オクターブも声を張りあげて「きゃあ、みかさん!」と喜んでくれる友達などは、うれしくて、うれしくて、何度でも電話をかけたくなってしまう。特に用事がない時にでも、ちょっと声を聞きたくなってしまう。もしかしたら、相手にとってとても迷惑な話なのかもしれないけど……。

 人とつきあうのが苦手な女性がいた。人としゃべる時に、どうしても固いものいいになってしまうので、彼女にはなかなかうちとけた友人ができない。
 ある日、ふとしたきっかけで彼女の家に呼ばれることになった。私は人と話をするのがそう不得手ではない。しかし、この時ばかりはちょっと躊躇した。彼女相手に、何を話せばいいのだろう。想像通り、向かいあって座る二人の会話はぎこちないものとなった。沈黙が何度となく訪れ、その後に言葉を無理矢理続けていく。そんな時間が過ぎていった。 そろそろ帰ろうかと思い始めた頃、彼女の家の電話のベルがなった。
「失礼」
 席を立ち、受話器をもった彼女。「はい」という返事が聞こえた。やはり固い声である。が、次の瞬間、
「はあい!」
 柔らかく、楽しげな声が聞こえてきた。彼女の声帯からこんな声が出るとは、とても信じられない。だが、電話をとったのは、間違いなく彼女だ。
 電話を切った彼女に、私は質問した。
「楽しそうな声だったわね。今の電話、どなたから?」
「主人なの。営業マンだから、外からいつもこうやって電話をかけてくるのよ」
「ああ、いいわねぇ」
 心の底から、そう思った。彼女とご主人のいい関係が、この電話だけで全部わかってしまうというものだ。ご主人は、彼女の優しい「はあい!」が聞きたくて、きっと何度も電話をしてしまうのだろう。私だって、こんな声で電話をとってくれるような人がいれば、きっと何度でも電話してしまうだろう。
「わたしが電話しても、今みたいな声で返事してもらえるとうれしいなあ」
 彼女にそういうと、無表情だった彼女がぱっと明るい顔をした。
「お電話くださるの?」
 その後、すぐに彼女の家に電話をかけ、約束通りの「はあい!」を聞いたことは言うまでもない。あっという間に私たちが親しくなったのを見て、知人は首をかしげた。
「あの人って、つきあいにくくない?」
 正直に答えようとしたのだが、「彼女の電話の声が好きだから」なんて理由を理解してもらえるとは思えなかった。
 そこで私は、
「いい人よ。恥ずかしがり屋なだけよ」
 そういって、こっそり微笑むにとどめた。

 電話の切り際も、これまた肝心だ。
 挨拶もそこそこに受話器を置くのは、どうも早く切りたかったに違いないなどとかんぐってしまう。
「それでは、さようなら」相手がそういった後、「じゃ、また」と言おうとして、最後の「また」を言う前に、受話器をおかれてしまうことがある。こういう時は、握手しようと差し出した手が取り残されるような、ほのかな淋しさを感じさせられる。

 最近、電話を持ち歩く人が増えてきた。いつでも連絡が取れる安心さはあるけれど、そういいことばかりでもない。何度か砂をかむ思いをさせられた経験から、私は携帯電話をあまり信用できなくなってしまった。
 先日、携帯電話をもっている知人に電話をかけた。電話のベルがなる。何度もなる。あしかし、当の本人は出て来ない。
 携帯電話は、電話を受けたくない場合、電源を切ることができる。だから、呼びだし音が鳴っているということは、本人が電話を受ける準備ができているということになる。それでも、出ない。これにはどうも合点がいかない。しつこい性格の私は、どうしても電話をつなげたい。これといった用事もないのに、1時間に6回かけ直した。が、つながらない。
 いよいよあきらめようと思い、最後にもう一度ダイアルしてみると、今度は本人が出た。
「どうして出なかったの? 何度もならしたのよ」
「あ、ごめん。ウォークマン聞いてたから」
 がっくりくる。

 いつも家にいないA君は、ポケットベルしかもっていない。家にいないんだから、電話は無駄になる。彼の方針は、理にかなっている。
「いつでもベルならしていいから」
 彼はそういう。が、これもムズカシイ話だ。ポケットベルをならせば、彼はすぐに電話を捜しにいかなくてはならないのだ。電話を見つけ、小銭を捜し、電話番号を調べ、うちに電話をかけなくてはならないのだ。これだけの作業を相手にさせるとなると、よっぽどの用事でないとならないような気がする。
 彼は、うちのバンドのベーシストだった。練習日の相談なども電話で済ませることが多い。こういう連絡は、たいてい夜中のうちに行われる。しかし、夜中外に出て、電話を探さなければならないとなると、これは一苦労である。寒い冬ともなると、さらにそれは厳しくなる。それだけの苦労を、彼に強いることになるわけだ。
 彼に連絡をとらなければならない。でも、彼を寒い夜風にさらしていいものなんだろうか。私は電話の前で、たっぷり悩んでしまうことになる。かけるべきか、かけざるべきか。悩んでいても、結局かけなくてはならないには違いないのだから、たっぷり自己嫌悪に陥りながらダイアルすることになる。彼からかかってきた電話に、やたらと謝ってしまったりする。どこか割り切れない思いが残る。

 留守番電話が得意だという人を、私はまだ知らない。相手のいない電話にむかってしゃべる馬鹿馬鹿しさったらない。さらに、みょーに緊張した声を相手に聞かれ、笑われてしまうシーンまで思い浮かべてしまう。だれにとっても、これが楽しい訳がない。
 うちの留守番電話には、娘の声が入っている。大人のそっけなく機械的な応答は、まったく返事したい欲求をそそらない。しかし、子供の声というのは不思議で、なんとなく何か返事を返したい気分にさせられるのではないか。そう考えたからだ。
 外出から帰って留守電を再生してみると、たいていの声が笑い声から始まっているのが楽しい。娘のたどたどしいしゃべり方に、まず笑ってしまうらしいのだ。中には「脱力した」という人もいた。いろいろがんばらなくてはやっていけないようなこの時代、脱力する必要を感じたら、うちに電話してみることをお勧めする。


◆執筆者後記
 占いの本を調べた母親から、「あんた今年絶好調よ」と言われた。いわく、何をやってもうまくいくそうな。こういう時だからこそ「気をつけなさい。大きな石につまづくこともあるのよ」だって。つまづくことを恐れて、なんの人生よっ。