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真花のショートラブストーリー 番外編 クラウンの夢

 高校3年の夏だから、もう20年も前の話。私はクラウンと運命的に出会った。あのとき彼に会わなかったら、私は今頃生きていなかったのだ。  

 その頃、私は恋をしていた。今から思い出してもあれは本物だったと思うほど、激しく苦しい恋だった。その人のことを想うだけで、一日が過ぎていた。その人の影を求めて、行きそうな場所を巡り、人の群れの中から彼の姿を探し、出会ったら息が止まるほど胸が熱くなり、声をかけられたらその場で倒れそうなほどだった。彼にしてみれば、私は気楽に話せる後輩のひとりでしかなかったが、私の想いはそんなもんじゃない。この恋のためなら何でも捨てる覚悟だった。なぜこれほど彼が好きなのか、自分でも訳がわからなかったけれど。

 彼はその頃、ある女性を愛し、苦しんでいた。彼女のことが好きでたまらなくて、そんな気持ちを私に打ち明けた。毎日、彼はこの思いの苦しさを私にぶつけていた。そんな話には正直耳をふさぎたかったけれど、それよりも彼の側にいたいという気持ちのほうが強く、私は毎日彼の告白をしっかり受け止めていた。「おまえはいいよ。ほんとうれしいよ、おまえみたいなヤツがいてくれて」。彼は口癖のように、私に言った。「帰りは送っていくから。一緒に帰ろう」。彼は、わざわざ遠回りして、駅の反対側にある私の家まで送っていってくれた。家の前で、別れがたくてくだらない話をする彼。横顔の向こうに、背の高い木が見えた。その木の枝に引っかかるように、細くきれいな三日月が見えた。額にかかる長い髪と、木の向こうにある細く長い三日月。「よく似合う」と思った。  

 春が過ぎ、夏休みが来て、受験生はみんな図書館で勉強に励むようになった。一浪した先輩は、わたしと一緒に図書館で毎日勉強していた。勉強に飽きると、わたしを誘ってジュースを飲みに2階に下りる。しかし、その日フロアは人であふれていた。「しゃーない。外まで買いに行くか」。先輩に続き、図書館を出た。外は小雨が降っていた。向かいのスーパーに走りこむ先輩。スーパーの前のちょっとした広場に子供用の遊び場があって、そこには小さな木馬が3つ並んでいた。「ちょっと乗らへん?」先輩は、ふざけて木馬にまたがった。ペンキのはげた木馬は、ギーギーという音を立てて揺れ始めた。「おまえも乗れや。こういうのも、ええで」。先輩にいわれ、彼の隣にある木馬に座る。並んで小雨を見ながら、ふたりとも黙っていた。彼は、小雨の中に彼女の面影を描いているのかもしれない。泣きそうになりながら、わたしはギーギーと木馬を揺らした。先輩はそのままずっと、雨を見つめていた。  

 彼女を好きな彼。彼を好きな私。堂々巡りのメリーゴーランド。絶対に誰もつかまらないのに、回るのをやめない木馬たち。苦しくて、毎日起きるのも寝るのも歩くのも食事するのも苦しくて、わたしは段々やせていった。ちょうと同じ頃。中学時代の同級生がビルから飛び降りて死んだ。彼女のお葬式に参列し、ああ私も彼女と同じだと思った。彼から離れることもできなくて、でも側にいるのもツラいなら、この世からいなくなってしまおう。夕方、山に続く道をフラフラと歩いた。遠くでカラスが鳴いていた。見上げると、細い三日月が見えた。夕方の空に浮かぶ、白々しい月。彼の横顔に似合う、細い月。やっぱりもう一度彼に会いたい…。  

 その夜、泣き疲れて眠った私は、夢の中で抱きしめられていた。あたたかい、優しい腕。振り返ると、そこには一人のクラウンがいた。大きな大きなクラウンだった。静かに笑っていた。「だいじょうぶだから」と、クラウンはいった。「ぼくがずっと、そばにいるよ」。彼は優しくわたしの手を取り、歩き始めた。町には、お祭りみたいに人があふれていた。その中を、にこにこ幸せそうに歩く彼。死にたいと思っていたはずなのに、なぜか私も幸せな気持ちで彼と手をつないで歩いていた。町の人はみな笑顔で、わたしたちを祝福してくれているようだった。「よかったね」「幸せだね」「大丈夫だね」…。人々の声は続く。「ありがとう」「ありがとう」「だいじょうぶ」…私が答えている。幸せそうな私の顔を、もうひとりの私が見ていた。「よかった、これで私、死ななくてもいいんだ…」。 数ヶ月ぶりに、幸せな気持ちで目覚めた朝。夢の中のクラウンを思い出しながら、「ああ、そうだ」と思った。「わたしを待っている彼が、きっとどこかにいる」。娘らしい「白馬の王子様」的発想だが、それで私は救われた。先輩は、あのクラウンさんじゃない。  

 午後、ふと思い立っていつもと違う道を歩いた。中学時代の友だちが住む住宅街に続く道。懐かしかった。見知らぬ店もたくさんあった。一軒一軒のぞきながら、ゆっくりと歩いた。横断歩道を渡り、小さな店が並ぶ通りをいくと、そこに一際かわいい店があった。「キャラクターグッズの店かなあ」。キャラクターグッズが好きではなく、あまりこの手の店には入ったことのない私だが、この時はなぜか店の扉を開けた。中には、キャラクターグッズではなく、小さくてかわいい小物がたくさん並べてあった。ひとつひとつ手にとって楽しみながら進んでいくと、奥に異質な雰囲気を醸しだす空間を発見。そこには、たくさんのクラウンが並んでいた。「クラウン…」。昨夜見た夢を思い出す。あまりにも不思議な偶然だ。手前にあった、小さな箱のようなオルゴールを手にとる。正面には、クラウンの顔が大きく描いてあった。のぞきこんだ途端、息をのんだ。そこには、夢の中でわたしを抱きしめた彼がいた。信じられない…。絵の中にいる彼に、心の中で声をかけた。「あなたなの? こんなところで、待っていてくれたの?」。  

 そのとき買ったオルゴールは、その後20年に渡って私を支え続けることになる。また恋をして大学を辞めて結婚した後も。その後、悲しい行き違いがあって大好きだった彼と別れてしまうことになったときも。また、自分より大切なはずの子供たちと離れて暮らさなくてはならなくなったときも…。もちろん今も、わたしの隣には彼がいる。この後も、ずっとそれは変わらない。そして彼は相変わらず、「だいじょうぶだよ」と、「ぼくがずっとそばにいるからね」と声をかけてくれるのだ。


 自分のホームページを作ると決めたとき、最初に作ったのがクラウンのコレクションのページでした。オルゴールを買った後、このクラウンの作者が「むらいこうじ」さんという方だと知り、「むらいこうじ」という名のついたグッズはかなり買い集めていました。このコレクションを公開し、同好の士をさがそうと思ったのです。HPを開設して3年。「むらいこうじさんの公式HPができました」とDORAさんからメールをいただきました。さっそく拝見させてもらい、感無量。あのとき、彼と出会ったからこそ、今の私があるのです。誰かにそう伝えたくて、ペンをとらせていただきました。