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ネットにあふれるテキストを携帯する幸せ



 前にも書いたが、わたしはれっきとした活字中毒だ。活字といっても印刷されている必要はなく、いってみれば「文字であれば、文章になっていれば」なんでもいい、というレベル。ネットには文章があふれているので、ソースに不自由することはない。ブログでもニュースでもコラムでも小説でも、なんでもかんでも収集しては読み漁る。最近一番気に入っているのは、とある個人ホームページの中で無料公開されている長編小説。このテキストをダウンロードし、W-ZERO3のメディアにコピーして、ブンコビューアで読んでいる。お風呂に入るときは、ジップロックにW-ZERO3をいれ、湯船につかりながら読みふけっている。


 意外と知られていないことだが、ブンコビューアはブンコビューア形式のデータだけでなく、テキストデータも読み込む。テキストならエディタで開いて読めばいいようなものだが、それだとどこまで読んだかわからなくなる。ブンコビューアはしおり機能がついているので、お風呂からでるときにソフトを終了しても、次に立ち上げたときは続きから読めるので便利だ。なにしろ、今読んでいる小説はめちゃめちゃ長い。昨年末から読み始めているというのに、まだ2/3程度までしか進んでいない。文字数を数えてみると、これまで読んだ文章は約50万字だった。つまり、あと25万字ほど残っている計算になる。


 この乱読(?)スタイルがとても気に入っていて、好きな作家のブログを取り込み、一気に数ヶ月分読んだり、mixiのコミュで気になったトピックをスレッドごと取り込んで読むこともある。今日届いた「新文化」という新聞の一面に掲載されている記事「“紙の本の復権”は幻想に過ぎない」で、佐々木俊尚氏は次のように語っていた。



 出版業界は、ネットやケータイにより活字離れが進行していると言いたがりますが、それは100%ウソで、ネットほどテキスト中心の世界はない。読んだり、書き込んだりする分量も半端じゃない。



 ネットに無尽蔵にあるテキストを読み漁っていると、佐々木氏の言わんとしていることがとてもよくわかる。活字中毒にとって、これほど幸せな環境はこれまでになかった。佐々木氏の言うように「たんなるノイズ」的なものも多いが、そのなかから興味をひかれるテキストを見つけ出す能力さえ磨けば、永遠に供給され続けるからだ。