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映画「西の魔女がしんだ」のセットが長野の清里にあると聞き、新潟帰りに立ち寄ることになった。サイトにあったアクセスマップに従って近くまできたが、案内がなくて不安になる。坂道をどんどん上り、人影が少なくなってきた頃、ようやく「おばあちゃんの家」という小さな看板をみつけ、ほっとした。
季節が遅すぎたのか、木々の葉が落ちて少し物寂しい雰囲気だったけれど、映画にでてきたままの家や庭、畑をみて感激。庭にはハーブ畑や野菜畑やにわとり小屋があり、それぞれが無秩序に、思いつきのようにあちこちに配置されているんだけれど、それが絶妙なバランスでなりたっていて、とても美しいと思った。
この家の主人であるおばあさんは、自分の生き方を「オールドファッション」といいながらも、ゆるぎなくそのスタイルを守っているのが、とても潔くて清々しくて。自分はとても真似できないなぁと思いながらも、正直憧れてしまう気持ちはある。
先日、新潟の友だちを訪問したとき、なにかのきっかけで京都の話になり、彼女が昔の思い出話をした。なんでも、三十三間堂で見かけたお坊さんがとてもきれいだったというのだ。その姿もさることながら、ろうそくに字を書いている姿全体がとても美しく、心うたれて見とれてしまったのだと。
「形だけではなく、その生き方や精神そのものが具現化したような美だった。そういうものを見ると、私はそこに強く何かを感じるらしいの」
彼女が言いたかったことが何なのか、私にはちゃんと理解できていないのかもしれないけれど、おそらく彼女は、お坊さんの佇まいの中にそれまでの彼の人生と精神を見て、その中に「美」を見いだしたのだろう。
その数日後、ある知人が私にこういう話をした。
「ある本を読んでいて、それがとてもいい内容でとても面白かったのだけれど、そのあとで何度読み返しても、どこかひっかかって、うまく入ってこない。それがとても不思議だったんだけど、最近はこう思うようになってきた。この人の文章は本物ではなく、どこかウソがあるのだろうと」
ひっかかりがあるというのは、つまり「リズムがない」ということ。さらに意訳すると、その文章が「美しくない」ということ。彼は、その本のリズムの崩れから、そこに「真実がない」と感じたのだ。
彼からこの話を聞いて、私は昔父が言った言葉を思い出した。
「いいか、真実はいつもシンプルで、美しい。この先、真花がなにかに迷うことがあったら、シンプルで美しいほうを選ぶといい。そこに答えがある」
当時の私はまだ小さすぎて、父の言葉が意味するものを何も理解できなかったけれど、今なら少しはわかる気がする、友だちの言葉、知人の言葉、そして父の言葉。この3人の言葉には、共通点がある。それはつまり、「美の中に真実がある」、あるいは「真実の中に美がある」ということだ。
実は最近、あまり周囲の状況が芳しくない。仕事がらみで小さなトラブルが頻発し、私はそれに振り回されることが多く、なかなか思うように進まないのだ。しかしこんなときだからこそ、彼らの言葉をひとつの礎にしながら、正しい答えに少しでも近づいていきたい。迷ったときは、シンプルで美しく見える方に向かって歩いていこう。そうすれば、きっとすぐにトンネルから抜けることができるだろう。
先週から、無用のトラブルが増えている。話を聞いてみると、みんなちょっとイライラしてるみたい。たしかに季節柄、あるいは社会情勢柄、なんだか気ぜわしくなってきたけれど、こんなときだからこそ、ひと息ついて、落ち着いて。
昨日、彼氏と喧嘩した娘。「今日は自分いたわりデー」と決めて、入浴剤だの、お風呂で使うマッサージ道具だの、バラの香りのボディクリームだの買い込んで、お風呂でのんびり過ごしていた。喧嘩したからって、カリカリ怒っていても疲れるもんね。そういうときこそ、お風呂で贅沢気分を味わってリラックスしようとしている娘って偉いなあと思った。
そんなわけで、「連邦」の吉野健太郎さん、「えんにゅ〜す」のYenさんと一緒に、亀有まで「ホワイト餃子」を食べに行くことになった。なぜ「ホワイト餃子」かというと、最近吉野さんがこれにハマっていて、「食事? いいよ、餃子にする?」しか言わなくなったから。特に「餃子が食べたい!」というテンションではなかったのだけれど、そんなに言うなら食べてみようか、というノリで出かけた。
亀有駅からタクシーに乗り、ホワイト餃子の店に到着。焼き餃子3人前と水餃子2人前を注文し、まずはゆず焼酎とウーロン茶で乾杯。
昔の音楽話に花を咲かせながら、餃子を待つこと数分。テーブルに運ばれてきたのは、まるでおまんじゅうのような餃子だった。
これを、まずはタレをつけずに食べる。まわりの衣はまるで揚げパンのようで、中の具にはしっかりと味がついている。さくさくっという音が気持ちいい。これはいける、と、さらに箸を伸ばす。かなりのボリュームだが、食感が軽いせいか、パクパク食べられる。
ちなみに、普通はタレにつけて食べるようで、Yenさんはしょうゆと酢、ラー油を入れて食べていた。テーブルには、ラー油の底にたまっている沈殿物のような辛味調味料もあったけれど、あれを入れる勇気は私にはなかった。Yenさんは面白がって入れていたけれど、辛くなかったのだろうか?
結局、閉店ギリギリ(21時半)まで粘り、餃子をすべて平らげて店を出た。たしかに、とても美味しかった。これなら、吉野さんが通いたくなる気持ちもわからないではない。ただ、彼が唱えた「餃子完全食説」には、正直納得しかねる。「中には野菜と肉、外の皮はたんぱく質。これは完全食でしょう」と主張する彼にYenさんは「たんぱく質じゃないだろ。炭水化物だろ」と突っ込まれていたけれど。
雷々軒のドラムであるバシさんの新バンド、「G-Horse」のライブを見に行った。実は木曜から体調激悪で、仕事も休んだほどだったんだけど、このライブだけは、なんとしても…という決死の覚悟だった(おおげさ)。何故そんなに見たかったかというと、今、私の中のベストドラマーであるバシさんをみたいという以上に、Gary Mooreの「CORRIDORS OF POWER」というアルバムから何曲かやるよ〜という情報を耳にしたからだった。
このアルバム、大学時代にヘビーローテーションで聴いた覚えがあって、当時のバンドでコピーした曲もあったりして、個人的に、かなり思い入れが深いものだから、やっぱりそこは死ぬ気になって行くしかない。
雷々軒のボーカルであるこだまさんと駅で落ち合い、そば屋で軽く腹ごしらえをした後、会場に到着。前のバンドの演奏が終わった直後で、しばらくすると幕が上がり、いよいよ「G-Horse」ファーストライブが始まった。
オープニングはこの曲だろうな…と思っていた曲がやっぱりオープニングで、次はこれかな…と思っていた曲が2番目で、もう私は大興奮! アルバムの1曲目から3曲目まで順番にやるという暴挙だったけれど、「CORRIDORS OF POWER」マニアとしてはもう、夢のようなセットリストで。
バシさんのドラムはやっぱりすごすぎて、「ここに、こうくる!」と思ったタイミングでバシ!と入ってくるものだから(シャレじゃないですから)気持ちよすぎてどこか別の場所に行ってしまいそう。また、アクションも派手! こんな、動きの派手なドラマーは、プロを含めてほかにいないと思う。一番後ろにいるはずなのに、ほぼフロントのような存在感で、思わず、見入ってしまう。
もうこれはバシさんから目が離せない…と思いつつ、ふとセンターを見ると…あれ? 福山雅治?
どこからどうみても、福山にしかみえない男がギターを弾いていた。なんで福山が? Gary Mooreファンだったの、福山?
Gary Mooreファンの方ならご存知だろうが、本物のGary Mooreは、決して男前じゃない。どちらかといえば、ブルドック激似で、気の毒なほどで。
「G-Horse」のギタリストであるRANDYさん、たしかにギターの腕前は素晴らしく、最後の「End Of The World」のイントロのギターソロでは思わず泣かされてしまったほどだったのだが…顔が違いすぎる! 反則なまでにかっこよすぎる! これは残念!
ちなみに、ベースさんもとても絵になる人だった。アクションがとても決まっていて、バシさん、RANDYさんというアイキャッチに負けず劣らず目をひいていた。
キーボード担当の人は…Mr.マリックそっくりだった(ごめんなさい)。
それにしても、本当に(いろんな意味で)インパクトあるバンドだった。すっかり心奪われたので、これから彼らのライブは皆勤することにした。
最後に。ここんとこ、私、あまり心身共にあまり調子よくなかったのだが、「End Of The World」を聴いたとき、胸にどーんと何か打ち込まれて、ぱーっと青空が広がったような、そんな爽快感と幸せを感じた。(End Of The worldという曲そのものは、その名が示す通り、爽快感とは無縁の曲なのだが…)。なんつーのかな。ひとことでいうと「あー。生きててよかった!」的な。こういう思いをさせてくれるのだから、やっぱり音楽ってすごい!
「ヤバい、ヤバいよ」と噂のインディアンカレーを食べに東京駅まで出かけていった。インディアンカレー、大阪ではあちこちにあるカレーブランドなのだけれど、東京には一軒だけで、東京駅付近のみ。大阪から出てきた人は皆「あの味は癖になる」と言い、こぞって、東京駅にあるこの店に通っているそうな。
インディアンカレー公式HP→http://www.indiancurry.jp/
ところが、大阪出身である私は、まだこのカレーを食べたことがない。「ほな、一回くーてみるか?」という、友だちのこだまさん(別名おばちゃん)のお誘いに乗り、初体験することになった。
お店はこじんまりとしていて、カウンター席のみ。メニューは「インディアンカレー」「インディアンカレースパゲティ」「ハヤシライス」の3品のみ。初日ということもあり、ここはスタンダードで攻めようと思ったけれど、「めっちゃ辛いから、卵いれたほうがいいかも」というこだまさんのアドバイスを聞き、オプションの生卵をつけてみた。
さて、そのお味だが、口に入れた瞬間、ふわーっと甘みが広がり、「なんや、ぜんぜん辛くないやん」と言いかけたところ、最後の「ないやん」を言う前に、強烈な辛さが舌を刺激する。
「わ〜! から〜い!」
あわててキャベツのピクルスを口に入れ、辛さを乗り越えた。それにしても、いったい、さっきの甘さはどこにいったの?
その後、何度も辛い、甘いを繰り返しつつ、どうにかカレーを食べきったが、店を出てみると、口の中には甘さだけが残っていた。あれほど辛い思いをしたはずなのに、それはもう跡形もなく。
今思い出しても、不思議で不思議でしょうがない。あのカレーは、果たして辛かったのだろうか? それとも甘かったの? それを確かめるためにも、もう一度行って食べてみたいと思うようになった。なるほど、リピーターが多いはず。みんな、この不思議な食後感が忘れられないに違いない。
ということで、今週末のランチ遠足ターゲットは、インディアンカレーに決定した。マイカスタッフ全員で、この味と対決しにいく予定だ。
ライター仲間の「まる」さんは、子供の頃バレエを習いたかったそうで、その夢を、オトナになってからかなえた。ライター業、奥様業をこなしながら、バレエ教室に通っている彼女の背筋はスラリと伸びて、とてもきれい。いくつになってもやりたいことは、臆せずやってよいのだと教えてくれた人の一人が、彼女だった。
小さい頃、私はピアノレッスンに通っていた。ヤマハ音楽教室に始まり、小学校時代はピアノの先生の家に通って、普通にバイエル、ハノン、ソナチネを習っていた。中学に入る頃、クラブや遊び(決して勉強ではない)が忙しくなり、自然消滅的に止めてしまってからは、自己流で好きなように弾いてばかりで、とくに練習らしい練習はしていなかった。
それが大学に入り、バンドをやるようになって、改めてピアノと真剣に付き合うようになると、わからないことだらけで、「ああ、もっとちゃんと練習しておけばよかった」と後悔することしきり。バンドをやる仲間は、自己流で練習している人が多く、「そんなん、いまさら」というのがおおかたの意見だとは思うのだが、それでも私はもう一度、ちゃんと誰かに教えてほしかった。
それは、たぶんピアノの弾き方だけでなく、どこでブルースが生まれ、どこからロックが生まれて、ブルースやジャズのDNAを残しながら、ロックがどのように広がってきたのかということ。あるいは、コード進行やスケールに一定のルールがあるのであれば、その基本的な考え方や、応用方法などを覚えて、自由自在に操れるようになりたかった。
そう思い始めた頃、タイミングよく水城先生からメールが届いた。それは「Music Lesson for Musicians」の案内だった。
Music Lesson for MusiciansのHP→http://www.juicylab.com/piano/
一回のレッスンは、約1時間。この1時間の間に、ピアノのレッスンはもちろん、音楽の歴史、音楽理論など、ありとあらゆることを教えられる。あまりにスピーディで、たまについていけなくなることもあり、前回からR-09で録音しながら教えてもらうようにしている。
改めて考えてみると、こういうことをちゃんと教えてもらえる場って、あまりないような気がする。学校の音楽でも教えてくれないし。こういう場所が、もっとたくさんあればいいのに。ところが、現在はまだあまり生徒がいないようで、このままだと将来的にはレッスンをやめてしまうかもしれない…とのこと。それじゃ私が困るので、ちょっとここで紹介してみた。
名前こそ「Music Lesson for Musicians」となっているが、別にミュージシャンでなくても、生徒になる資格はあるようなので、音楽の基礎から覚えておこうという人や、ちょっと興味がある人は、この機会に、レッスンを体験してみてはいかがだろうか。
ちなみに、スタジオメンバーズという会員制度があって、そこにグループで登録すると、スタジオが空いている時間であれば好きなだけ使える(=バンドで練習できる)というサービスもあったと思う。バンドの練習場所を探している人は、お得かも。ちなみに、私はそのスタジオメンバーズなので、空いている時間であれば好きなだけレッスンが受けられる。
こちらのエントリで、EeePCの使い道に悩んでいた私だが、本日ようやく彼の役どころが決まった。
VZマシン。つまり、少し大きめのHP100LXである。LXの母艦として使おうというアイデアは最初からあったが、残念ながらこいつはCFカードが使えない。同じメディアが使えなければ、データのやり取りが面倒だ。…ということで、その線は諦めていた。だが、しかし。毎日デスクの上でカレンダーの台になっているEeePCくんを見ていると、だんだん気の毒になってきた。世間ではそれなりに評価されているらしい、EeePC。なんとかうまく、活用できないものか…。
そこで、とあるページを発見した。文市さんの「HP100LX/HP200LX設定ガイド」の記述によると、パナソニックのカードアダプタがあれば、miniSD(1GB)をHP100LXで使えるようになるらしい! Amazonで検索してみたところ、これと同じ製品はなかったが、近いものがあったので、とりあえず注文。そしてそして、EeePCでVZ環境を構築。まだ製品が届いていないので、本当にできるかどうかはわからないが、とりあえずEeePCの準備は万端整った。
せっかくここまでやったんだから、カードアダプタが届くまで、当分このEeePCを「でかいLX」として使ってみようと思う。バッテリの持続時間に不安があったので、バイオス画面で無線LANとカメラ機能を切り、輝度も下げてみた。これでなんとか3時間もってくれないものか…。
iPod touchのケースについては、かなり長い時間をかけて検討したつもりだ。自分ではそれほど厳しい注文をつけている気はないのだが、世間のニーズから見ると少しずれているのか、なかなかピッタリくるものが見つからなかった。先日、ようやくこの戦いに決着がつき、それこそ私的には「これぞ究極!」なケースが見つかったので、ちょっとご紹介しておこうと思う。では、まずは写真から。
これはAppleStoreで購入したケースで、今さがしても見つからないので、もう在庫がないのかもしれない。DLOのレザーケースで、AppleStore限定品は確か赤い線が入っていたと思う。このケースのいいところは、なんといってもSUICAカードが入るところ。
私のケータイはSUICA対応ではないので、いつも持ち歩いているtouchをSUICA対応にすることにした。ほかのケースでも試してみたが、ちゃんと認識されるものが意外と少なくて、最終的にはこれに落ち着いた。
これはこれで気に入って使っていたのだが、ひとつ不満なのはイヤホンのコード処理。最近のケースの中には、コードを巻き取る部品がついているものもあるが、私もあれがやりたかった。先日、秋葉原ヨドバシでオーディオテクニカの巻取りホルダーを見たとき、「もしかしてこれでなんとかなるのでは?」と思いつき、やってみたところ、これがピッタリ!
色もあわせてオレンジにしたので、まるで合わせてオーダーしたみたいによく似合う。これをここにつけておけば、使わないときはこのようにコードを巻きつけておけばいいし、音楽を聴くときはこの部分をベルト通しにつけておけば便利だ。
仕舞うによし、聴くによし、電車に乗るによし。私のニーズを完全に満たしているこのケース、コラボ企画ではあるけれど、なかなかのアイデアではないだろうか。
余談だが、今使っているこのイヤホン、音がすばらしくクリアで驚いた。うちのシンリくんいわく、「音の解像度が驚くほど高い」のだそうだ。値段は3000円そこそこなので、大変お買い得だった。
本日は、マイカのランチ遠足デー。東京駅近くにあるインデアンカレーで、カレーを食べた。今日は卵なしに挑戦。一口目は甘く、あとはひたすら辛く、そして後味は甘い。うちのシンリくんは、これを「ツンデレならぬデレツン」と評した。さすが、カレー王子!
シンリくんのインデアンカレーレポートはこちら→http://www.office-mica.com/staff/
マイカのスタッフであるシンリくん(松田真理)とけんたくん(秋葉けんた)が執筆した本書。今月末発売なので、ご興味があればぜひどうぞ!
100円ショップで、毛糸とかぎ針、棒針を買った。今は成人している子供たちがまだ赤ん坊だった頃、私は彼らのためにセーターやらおくるみやら、せっせと編んでいた。子供たちが母親の手編みセーターなんて着なくなり、すっかりやめていたのだけれど、カコさんが最近かぎ針編みを始めたと聞き、ムラムラとやる気がわいてきた。
もうずいぶん長いこと編んでいないから、編み方を1から覚え直さなくちゃ…。そう思っていたけれど、いざ針をもってみると、指が勝手に動いてすいすいっと編めてしまった。脳じゃなくて、指先が覚えているという、この感覚。ずっと自転車に乗っていなくても、乗ってしまえばなんとか前に進めるし、ずっと泳いでいなくても、水に潜ってしまえば体は勝手に泳ごうとする。こういうことがあると、私も無駄に生きてきたわけじゃないんだな、と妙に感動してしまう。
編み物をしながら、フジテレビの『たけしの日本教育白書2008』という番組を見ていたら、石原都知事が出てきて、彼が昔影響を受けた先生のエピソードを話していた。当たり前のことだけど、石原都知事だって最初からあんな風だったわけではなく、いろんな人の影響を受けて今日の姿があるのだと思うと、なんだか感慨深かった。太田光がずいぶん真面目な青年だったり、たけしのちょっとしたコメントが秀逸だったり、東国原県知事が想像以上に(いい意味で)政治家らしかったり、橋本府知事はやっぱり浪速のあんちゃんっぽかったりと、大変実りの多い番組だった。
Amazonで予約していたので、21日に届いた。同じものを、私の実家にも送っておいた。この映画を初めてみた父は、「まるで僕たちの暮らしのようだ」と言っていた。庭の畑にはニラやピーマン、にんじんが実り、その隣にはハーブ畑があり、木においた餌場には野鳥が集まり、目の前には海が広がる。あの映画の舞台ほどオシャレではないけれど、たしかに天草も魔女の住まいにふさわしい。
Flickr(フリッカー)には、アップロードした写真データをミニカードにしてくれるというサービスがあるらしい。相方が、ドル安のタイミングを狙って申し込んでいたらしく、こんなものが届いていた。
これは「MiniCard」というタイプで、1セット100枚。大きさは、普通の名刺の三分の一ぐらい。フリッカーを利用している人は、こちらにアクセスし、自分がアップロードした写真の中から気に入ったものを選び、トリミング指定して申し込むようになっているそうだ。フリッカーを利用していない人は、こちらから同じサービスが使えるらしい。
ほぼ日にある吉本隆明さんのページで、こんな言葉を見つけた。
「ほぼ日」はこれまでの10年間、毎日更新を続けてきました。吉本隆明さんの言葉である「十年間毎日ずうっとやって、もしそれでモノにならなかったら、俺の首やるよ」は、ときどき思い出す、心の中の目標でした。
毎日、ずっと続けるのは、本当に難しい。このブログだって、最初の数年は毎日更新していたけれど、10年たった今では歯かけもいいとこだ。この文章を読み、反省し、私も気持ちを改めてブログに向かうことにした。なんでもいい、とにかく毎日更新しようと。
毎日更新するコツを、私は知っている。なにかひとつでも「これだけは」と思うものがあれば、なんとか続くものなのだ。以前は、それを「今日のランチ」でやっていた。しかし最近は、ランチを食べにいくことが少なくなり、写真を撮る機会がなくなった。それで、毎日やらなければならないことがなくなってしまったのだ。
それで、ランチの代わりにうちの犬を撮影し、アップすることにした。犬ならば、毎日家にいるのだから、撮れないなんてことはないだろう。ということで、今日も家に帰ったら一枚犬の写真を撮ることにする。冒険作家クラブのパーティに出た後で、帰宅は夜中になるはずだから、かなり遅い時間にはなると思うけれど、決めたその日に挫折するのはかっこ悪いので、なんとかがんばってみようと思う。
作家の鈴木輝一郎さんと再会。最近、プライベート面でいろいろとご苦労の多い方で、そのせいかどうか分からないけれど、大変スリムになられていた。大好きだったはずのお酒もやめたとのことで、今日はこんなステッカーを胸に貼ってパーティに臨んでいた。その固い決意に、思わず感動!
恒例のビンゴ大会は、今年もハズレ。隣に座っていた翻訳家の鎌田三平さんは、見事2勝。いずれもクリスマス用品だった。「こういうものは女性のほうが似合う」と、リースは私に、そしてトナカイは佐藤ラカンさんにプレゼント。ダンディな気遣いに、思わず惚れてしまいそうになる。
ちなみに、同じテーブルだった今野敏さん、佐藤ラカンさんも私と同じ負け組だったが、「こんなところで無駄に運を使わず、ヒット作を出すのだー!」と強気の発言。さすがだ。
冒頭の作品を娘が読んだ後で「お母さん、これ読んでみて。何とも言えない気持ちになるから」というので、読んでみることにした。彼女いわく「放り出されてほったらかされたような気持ち」だそうな。たしかに、読者的には未解決なまま迎えるエンディングは、なんともいえない気持ちになる。未解決といっても、「おそらくそうだろうな…」という予測はつくのだけれど。いずれにせよ、日本人にはない発想がなかなか面白い。
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