« 2008年12月 | メイン | 2009年02月 »
福袋狙いで、日本橋にあるコムサの店に行った。しかし、時すでに遅し。見事完売だそうで、子供用の福袋しか残っていない。手ぶらで帰るのも口惜しいので、30%〜50%引きのセール品を6品購入。福袋用予算を少しオーバーしたけれど、自分で選んだ服ばかりだからハズレなしということで納得。
三度の飯より、コロンボが好き。私が子供の頃、金曜の夜に父と並んで興奮しながら見ていたあのコロンボが、NHKに帰ってきた! 旧シリーズ、新シリーズあわせて68本を、ノーカットで毎週土曜日に放送するとか。うちはBS契約していないんだけど、これはやっぱり契約するしかないか…。ま、旧シリーズについてはディアゴスティーニで全部揃えているので、わざわざ見なくてもいいといえばいいのだけれど…。
先日、新聞にも掲載されていたが、コロンボ演じるピーター・フォークは、現在、認知症で家族の顔も分からない状態だとか。幸い、最後のコロンボを収録した後だったから、彼自身、悔いはないのかもしれないが…。あるいは、最後の収録が終わって気が抜けたから病気になったのかもしれないけれど…。
ところで、1月2日の夜には、「和製コロンボ」と呼び声の高い「福家警部補の挨拶」が放映された。福家警部補は、以前にゆぴ1号さんから紹介されて原作を読んで以来のファンだった。原作では、地味で学生っぽい女性だったはずの福家さん。番組では、永作博美が演じたせいか、なかなか男前で、かっこいい警部補になっていたので、ちょっとイメージは違っていたし、笑えないギャグがあちこちにちりばめられているのもどうかと思ったけれど、でも大筋では大変満足だった。やっぱりミステリドラマはいいな。福家警部補ものも、シリーズでやってくれないかしら。
録画しておいた「必殺仕事人2009」を見た。雑感をメモ。時代劇は得意じゃないけど、これは毎週見ることにした。
毎年、同じことを書いている気がする。ただいま、年に一度の繁忙期。魅力的な新年会のお誘いにも、泣く泣くお断りの連絡を入れているような状況で。だけど、こんなご時世に忙しいなんて大変ありがたいことで、ウソでも愚痴を言えるはずはない。いや、もっともっと忙しくてもいい。
iPod touchを購入した友達に、お勧めアプリ一覧(というか、今自分のtouchに入っているアプリ一覧)をメールした。せっかくリストにしたので、こちらにも公開。リンクは、気が向いたら後でつけておきます。
【ネット接続系】
【ユーティリティ系】
【仕事系】
【音楽系】
【ゲーム/暇つぶし系】
先日紹介した機長のサイトのアクセス数が、急激に伸びているそうな。それも、伊藤浩一さんのサイトで紹介された影響だそうで、とてもありがたい。ただ、「MacユーザなのでMacで読みたい」という要望が著者のもとに多く寄せられているそうで、とても申し訳なく思っている。ブンコビューアは、携帯電話(3キャリア対応)とWindows版、PDA(スマートフォン)版のみ配布されていて、Mac版は残念ながら提供されていない。Macユーザの方は、携帯電話かお手持ちのPDAおよびスマートフォンで読んでいただくか、あるいはBootCampやバーチャルPC等、Windowsエミュレータでご覧いただくという方法を試していただきたい。
Palm Fanより。久しぶりにワクワクなニュース。三連休のメインテーマはこれになりそうな予感…
この「webOS」「Palm Pre」では,従来のPalm, Incデバイスの主要機能であったPIM機能も新しくなっています。カラーリング,操作性などの他,”どこにいても統合されたデータを参照でき,ウェブアプリケーションが動作するマルチタスキング,マルチタッチデバイス。”,”スケジュールやコンタクトデータを閲覧したときには必要に応じて,それぞれの場所のデータをフィルタリングして表示する”などの使い勝手の良さをアピールしていました。この同期機能は「Palm Synergy(TM)」と呼ばれ,webOSの主要な機能となっています。
これは,さまざまな場所にある情報をひとまとめに一覧でき,今までのように複数のカレンダーやコンタクト,メッセージング・アプリケーションを気にしたりする必要は無くなります。
たとえば,Outlook,Google,Facebook各アカウントの同名データは一つのデータとして取り扱われ,一覧表示から利用できる他,webOSでデータをアップデートした場合には,それぞれのアカウント内のデータも更新されます。カレンダーでは複数のカレンダーデータを重ね合わせてレイヤー表示させることができます。メッセージングではチャットスタイルビューでIM,テキスト・メッセージに関わらずまとめて表示することが出来ます。
昨日の日記で公開したリストをmixi日記にも載せたら、他のユーザさんから続々とお勧めアプリ情報が集まってきたので、それもこちらに記録しておく。昨日分とあわせて、気が向いたときにリンクをつけておく予定。
【仕事系】
【ネット接続系】
【ゲーム/暇つぶし系】
ケータイ小説から読み解く、今の若者文化のキーワードは、浜崎あゆみ、郊外型ショッピングモール、ヤンキー、コミュニケーション依存とDV恋愛。現代の若い女の子たちは、痛いことや辛いことがあっても、それを尾崎豊のように外敵に向けて発散するのではなく、浜崎あゆみの歌詞のように自分の内部を見つめながらモノローグをつぶやくという。実に内省的で、自己犠牲精神が強い。
ほかにも、ユニークな特徴がいろいろある。彼女たちは、かつての若者のように、学校を卒業しても地方から中央(東京)へむかいたいという気持ちはない。できれば地元で就職し、地元で結婚して昔の仲間と仲良くやっていきたいと思っているようだ。つまり、横のつながりを大切にする傾向にある。これは、「ヤンキー」にありがちな傾向で、実際、彼女たちのカリスマである浜崎あゆみや安室奈美恵は、「コギャル」ではなく「ヤンキー」に近い存在…かつての山口百恵や中森明菜の流れの中にある、笑わないディーバの末裔なのだそうだ。
私が痛ましいと思ったのは、彼女たちが、彼氏に殴られたり、行動を監視されることに対して「嫌だ」と拒絶するのではなく、「それが彼の愛」だと甘んじて幸せすら感じるということ。そんな彼女たちは、立派な DV被害者予備軍だ。たしかに、流行っているケータイ小説には、そんな彼女たちが共感するだろう自己犠牲的な精神をもつヒロインが登場し、さんざんな目に遭う。ひどい経験を重ねながら、最後には本当の幸せ、本当の自分を見つけ出していくというものが多い。
おもしろいことに、そんな彼女たちが最後に見つける彼からの愛のメッセージは、黒板に書かれたイタズラ書きや日記など、相手に届かないことが前提となっているアナログなメディアに書かれているケースが多いそうだ。ケータイでコミュニケーション依存になっている若者が、最後に自分を見つけ出すときに使うのが、ベタなアナログメディアであるという点も、実に興味深い。
『女性と男性では胎児の頃から脳が違うが、女性はさらに思春期、母親期、熟年期にホルモンが激変して関心や行動が変わる』
これまでの自分の人生を振り返りながらこの本を読むと、納得することばかり。あの時の決心も、この時の情熱も、すべて自分の個性だと信じてきたけれど、なんてことはない、どれも脳がなせる技だったとは。少しがっかりし、少し安心しながら読了。もっと早い時期にこの本と出会っていれば、もっとうまく生きられたかもしれない。自分の娘にはぜひ、読ませておきたいと思う。
仕事関連で、携帯サイトを作成中。これがなかなかうまくいかない。携帯サイトをあまり使っていないので、お作法がピンとこないのだ。娘や息子に見せて、ご意見をうかがいながらチマチマと修正を続ける。
彼らのいうことによると、携帯サイトで一番大事なのは「怪しそうでないこと」だそうだ。リンクが切れていたり、説明が足りなかったりすると、彼らは即座に「あやしい」と判断し、二度とアクセスしなくなるそうな。「そんなさ、怪しい怪しいって疑ってばかりいなければいけない世の中ってどうよ、とは思うけどね」と、娘。
とにかく、色は多めに。線や文字に色をつけるのはもちろん、携帯絵文字を多用してにぎやかなデザインにすること。カタカナは半角にして、文字数は少なめに。一画面で全部説明してしまうのではなく、簡単な説明に留めておいて、リンクで移動した先に、より詳しい説明を入れる。無料サービスであれば「FREE」アイコンをつけて無料を強調し、お金のかかるサービスなら「円」マークをつけて注意を促す。文字と画像をギュウギュウに詰めるのではなく、あちこちに「間」を作る。携帯サイトの場合、この「間」のとり方によって「それっぽく」仕上がるのだそうだ。
今を記録したい、という衝動が高まっている。今感じたこと、今思いついたことを、とにかくなんでも記録して残しておきたい、と思う。それは、加齢による記憶力の低下に危機を感じているからか、それとも単にメモ好き(PDA好きはここに端を発している)が加速しているだけなのかは、定かではない。
昨年から、Tumblrというサービスを使っている。Tumblrの中身は、ほとんどライフログ。今見ているもの(食事とか、風景とか、人とか)を携帯カメラで撮影し、それをその場でアップする。たまに、写真抜きのテキストだけでアップすることもあるし、ネットで見つけた面白い情報をクリップすることもある。Blip.fmに追加した音楽タイトルは、自動的にTumblrに反映されるようになっている。こうしてみると、私が関わったものをなんでも雑多に放り込んでいるように見えるが、いずれにせよ、「今」を記録することに特化しているのは確かだ。
Tumblrの更新情報は、Twitterに反映される。Twitterには、ほかに関心空間の更新情報も反映されている。そのTwitterの更新情報は、このブログのサイドバーにある「真花のひとりごと」に反映されている。つまり、このブログを見れば、TumblrとTwitterと関心空間と日記が一度に確認できるようになっている。こうして一箇所にまとめておけば、いかに忘れっぽい私でも、自分の行動やメモの存在を忘れることはないだろうというのが私の目論見なのだが、さてさて。
岸田裁月氏から、新作が届いた。午後、真剣に拝読。これがまた、めちゃくちゃ面白い! 彼が本物の天才であることを再確認した次第だ。
本の発売は、おそらく今月末。待ちきれない読者のために、このブログ限定で表紙と紹介文を先に公開してしまおうと思う。なにしろ、私自身が待ちきれないのだ。
1969年、既に5人を殺害していた連続殺人犯は、自らを「ゾディアック」と名乗り、不敵にも暗号文を新聞社に送りつけた。「この中に私の正体が隠されている」。彼はスクールバスを銃撃することも予告していた。街中がパニックに見舞われる中で、全米のパズル好きが暗号の解読に乗り出した。さて、犯人の正体とは…? パズル好きでなくとも我々は謎に魅了されてやまない。いまだにゾディアックを、切り裂きジャックを、ブラック・ダリアの虐殺者を追い求めている。それは一種の麻薬のようなものなのだろう。欧米の名立たる未解決事件全58件。貴方はこの謎を解くことができるだろうか?
取材に行くことは多いけれど、受けることは滅多にない。今回が、生涯3度目かな? 電子書籍の現状を調べているとのことで、電子書籍専門出版社の代表取締役として私感を述べてみた。現在の電子書籍をみると、「コミック」と「BL」だけが目立っているが、それだけで終わってもらっちゃ困る。まだまだ面白いコンテンツは、ほかにもたくさんあるのだ。
ということを、少しでも多くの人に知ってもらうために、今、「無料で読める電子書籍」サイトを作っている。ケータイからアクセスすれば、プロが書いた書籍が無料ですぐに読めるというサービスだ。電子書籍用ブラウザがないケータイを使っている人も、このサービスならそのまま読めるようになっている。オープンが決まったらここで告知するので、ぜひお手持ちのケータイでアクセスしてみてほしい。
昨年11月から始めた、ピアノレッスン。いつもは豪徳寺の音楽スタジオに行って習うんだけど、昨年末に足を痛めて以来、そこまで行けなくなってしまった。そこで、先生が一計を案じた。「スカイプを使ってレッスンしてみる?」。すでに朗読ではスカイプで教えている例もあるそうで、それならやってみようということになった。
そして今日が、初めてのスカイプレッスン。自宅のピアノの前にiBookを設置し、本体カメラの角度を工夫して、ピアノの鍵盤が映るように調整する。それから、先生のスカイプIDにアクセスし、いよいよレッスン開始。最初は緊張したけれど、やってみるとスタジオでのレッスンとなんら変わらない。私が弾いて、先生がコメントし、お手本を弾いてもらってそれを真似たり、強化すべきポイントを集中して教えてもらったり。
ただ、先生からみると、「ノートに書き込みをしたりできないところが、ちょっとじれったい」とのこと。私も電子ピアノよりは、スタジオのグランドピアノのほうが弾いていて気持ちいいので、次回のレッスンは足の具合を見ながら豪徳寺まで行ってみようと思った。
宿題だったOn The Sunny Side Of The Streetを弾いたら、「テーマはもう弾けているから、次はアドリブの練習」ということになり、スケールをたたき込まれる。ジャズ理論をずっと避けてきた私にとっては、もうなにがなんやら。まずは、それぞれのコードにあったスケール(Church Scale)を覚えなくてはいけない。それと、テンションをもう一度おさらいしておくこと。これを覚えてしまえば、どんな音を使ってアドリブを弾けばよいかが、わかるようになるらしい。ということで、On The Sunny Side Of The Streetに出てくる各コードのスケールを確認しつつ、それをノートに書くことにした。次のレッスンまでに、これを覚えなければならない。さあ、いよいよ本格的になってきたぞ。
第二回。やっとこの4人のフォーメーションに慣れてきた。しかし今回の仕事の仕方は、いつにもまして卑怯で大笑い。相手が相当の剣客だから、へべれけに酔わせて油断しているところを狙うしかないのはよくわかる。確実に仕事をこなすためには、ルールなんてあってなきようなもの。そこもクールでよろしい、とは思うものの、渡辺さんのやり方はいささか…。相手の武器を取り上げておいて、その武器を鑑賞するふりをしながらさりげなく切るってのはなんとも…。ま、でも、それこそが仕事人、というべきか。
昨日のレッスンで教えてもらったスケールを、すべて楽譜に書き付ける。自分で書いてみて、ようやく構造がわかった。Cのアイオニアンから始まり、Dのドリアン、Eのフリジアン、Fのリディアン、Gのミクソリディアン、Aのエオリアン、Bのロクリアンは、すべて白鍵で弾ける「ドレミファソラシド」のような音列だが、音を追ってみると「全音」「半音」の組み合わせがどれも違う。この、全音と半音の組み合わせの名前が、つまりそれぞれのスケール(Church Scaleというらしい)なのだ。となると、Cのドリアンはどうなるかといえば、ドリアンは「全半全全全半」の順に並んでいるから、Cから始まってEとBに♭がつくスケールになる。すべてのコードに、すべてのスケールがあるから、全部覚えるとなると、とんでもない数になる…。1から始めると途中でいやになるのは目に見えているので、とりあえず一曲ずつマスターしながら覚えていこうというのが、先生の提案。たしかに、そのほうがよさそうだ。
ついでに、いくつか覚え書き。
こちらにあった歌詞を読んで、ぐっときた。
私が昔育った島、長崎県佐世保市にある大島は、炭坑の町だった。両親が結婚した当時は、炭坑関連の仕事が一番羽振りがよくて、この町もずいぶんと賑わっていたそうだ。
しかし私が6歳になる頃、炭坑事業はみるみる勢いを失い始め、父は、一大決心でこの島を捨て、大阪に引っ越した。その後、この島はすっかり廃れてしまった。大阪に出た我が家は、父ががむしゃらに働いてくれたおかげで、安定した収入を得て、楽しく毎日をくらせるようにはなったけれど。
それでも両親は、今でも当時を思い出しては「あの頃が一番幸せだった」というのだ。決して楽ではなかったはずの、あの町での生活が「自分たちの原点だった」というのだ。
二人の思い出話を聞くと、私の耳にも、遠い昔に聞いた潮騒の音が聴こえてくるような気がする。
ミステリものは確かに好きだけど、決して「殺し」が好きな訳ではない。命のやりとりの中に潜む、究極の感情(それは愛だったり、憎しみだったり)に、とても興味があるのだ。法廷物も、刑事物も好きだけど、実は検察医物(そんなジャンルあるのかな)も結構好きで、死体の「Help」という声を聞いて時間をさかのぼる「True」なんて海外ドラマにも、ずいぶんハマった覚えがある。
この「ヴォイス」というドラマは、その日本版というと語弊があるかもしれないけれど、少し似た雰囲気がある。どちらも、死者の「伝えられなかった声」を伝えるために、主人公が奔走するというストーリーだ。ただ「ヴォイス」の主人公には、死者の声を実際に聞いたり、時間を遡ったりする特殊能力はない。「彼らが何故死ななければならなかったか」という事実に真摯に取り組み、その事実の中から彼らが残された者に送りたかったメッセージを伝えるために、検察医の範疇を越えて徹底的に調べ上げるのだ。
第一回、第二回と見てみたが、どちらも殺人事件のように見えて、実は事故だったというところがなんともほっとする。やたらと刺激的でグロテスクな殺人が多いミステリドラマがあふれかえっている現代において、見終わったあとは気持ちがとても優しくなるという、とても珍しいドラマだ。ミステリなのに殺人犯がいないところもまた、新鮮かつ爽やかで。伝えたい声が「恨み」ではなく「愛」だという点も、また特別に心地いい。
本日、朝も早よから朝食作ったり、お弁当作ったり。それもこれも、朝10時から豪徳寺のスタジオにてJAZZ PIANO LESSONを受けるため。前回は、足が不自由だったのでスカイプでの遠隔レッスンだったけれど、おかげさまですっかり回復し、今日はスタジオまで行けるようになった。スカイプレッスンもなかなか面白かったけれど、やっぱりスタジオで顔をあわせながらレッスンを受けるに越したことはない。
しかし正直、いつも全然練習できていない状態で駆け込むような有様で、先生には大変、たいへん申し訳なく思っている。それでも、なんとかかんとかジャズの入り口あたりに立てるようになった気がするのは、やはり先生のご指導のおかげだと思う。
本日は、レッスンの後、先生のポッドキャスト番組「RadioU(http://www.voiceblog.jp/radiou/)」に、「AOR奥様」としてゲスト出演した。「AOR奥様」の紹介や1980年代のカルチャーなど、四方山話に花を咲かせたが、果たして聴いていて面白い話になったかどうか…。
先生のご好意に甘えて、番組の最後にマイカの新サービスについて告知させていただいた。ポッドキャスト配信は…うわっ、もう配信されていた! 仕事はやっ! ご興味のある方は、ぜひこちらから番組にアクセスを!
今日、某社での打ち合わせの帰り、ドトールでコーヒーを飲んでいたときのこと。同席していた知人の足が、通路を歩いていた人の足に当たったらしく、そのことが猛烈に気に入らなかったらしいその人は、突然知人につかみかかり、大きな声で怒鳴った。
知人はすぐに謝ったけれど、相手はそれでも許さなかった。彼が、どんどんエスカレートしていく様を見ていて、これは危ないと思った私は、「間に見知らぬ女が入れば、まさか暴力沙汰にはならないだろう」と企んで二人の間に割って入ったが、どうやらこれが甘かったらしい。私はその人に殴られて、顔と手に怪我をしてしまった。
ドトールの人が警察に通報し、すぐに警官が駆けつけたので、その場はどうにか収まった。まず、警官は各関係者にひとりずつついて、それぞれ名前や住所を聴き始めた。私についた警官は、若い新人さんのようだった。知人についたのは中堅層の人で、殴ってきた彼についたのは、かなり大柄の力のありそうな人だった。なるほどね…。
私は、担当の警官に手持ちの名刺を渡し、念のため免許証も見せた。彼はそれを書き写し、名刺を返した後、「この後どうしますか?」と私に聞いた。私は、「どうしますか…って、どうすればいいんですか?」と反対に聞き返した。すると彼は、「あなたを殴った相手を告訴しますか?」と重ねて聞いてきた。
そう言われて、初めてわかった。私は、この事件の被害者という立場なのだ。「告訴したら、どうなるんですか?」と聞くと、「彼は、逮捕されることになります。取調べをして…(このへんの記憶は、ちょっとあいまい)」とのこと。説明を終えた後、もう一度「どうします? 相手を訴えますか?」と聞かれ、とっさに「いえ、必要ないです」と答えた。
これを聞いて、同席していた知人は「なんで!」と驚いた。「いや、もう全然平気だから。それより帰りたい」と答えると、彼は、それを「事なかれ主義」と批判した。…いや、でもそうじゃない。別にわたしは、面倒くさくてそういったわけでも、事が大きくなるのが嫌でそういったわけでもないんだけれど、「じゃ、なんで」と聞かれると、うまく説明できない。
その後、どうしても訴えたいという彼を説得し、警察官のお三方にご挨拶して「じゃ、もう帰っていいですか」と聞くと、中でも一番身体が大きい警官が、「それであなたがいいのであれば、かまいません。ただ、相手の住所も名前も控えてあるので、あとで思い返して『許せない』と思ったら、すぐに連絡くださいね。わたしの名前は、××署の○○といいます」と言った。
帰り道、知人は全く納得できないという様子で、「なんで、あれで終わりにしてしまうのか。このまま、負けたままで帰るなんて我慢ならない。そんなことをするから、ああゆう輩がどんどんのさばってくる」と言っていた。知人の意見にも、一理ある。というより、本当は彼のいうとおり、訴えるべきなのかもしれない。たぶん、そうするべきなのだろう。罪を憎んだら、それを罰するべきという理屈で考えたら、もちろんそれが正義なのだろう。…と、そこまでは理解はできるのだけれど、わたしはどうしても、そういう気持ちになれなかった。
家に帰った後、私がなぜあんな行動をしたのか自分でも知っておきたくて、記憶を頼りに何度も考えてみた。そうすると、おぼろげながら自分の気持ちが見えてきた。それはつまり、こういうことだった。
たとえば、殴った相手を訴えて、裁判で勝ったとしても、そこにはなんの喜びもない。相手に対して、「ざまあみろ」とも思わない。それどころか、多分私はとても疲弊して、ときに深く考え込んで、そしてきっと、少し後ろめたい気分になるのだろう。とても勝手すぎる考え方かもしれないけれど、わたしは、そんな気持ちを味わうのはいやだった。
それに、本当のことをいうと。実は、私を殴ったあの男のことを、あまり憎いと思わなかったのだ。それはきっと、私がその男を止めようと間に入って彼の身体に触れたとき、なんとなく彼の気持ちがわかったような気がしたからかもしれない。なんというか…とても悲しい、苛立ちみたいなものが伝わってきた。警官から聞いたところによると、彼は身障者だったそうだ。だから、という訳ではないだろうけれど、生きていく上で多分いろんな目にあって、人を憎む気持ちが膨らんでしまったのかもしれない。
警官と話をしているとき、ちらっとその男のほうを見た瞬間があった。そのときの彼の顔は、今でも忘れない。まるで彼のほうが殴られたかのように、とても痛そうな顔をしていた。そして、私が見ているのに気づくと、じっとこちらを見返した。その目は、とても静かだった。そのとき、こんな風に思った。…おそらく彼は、これから自分が訴えられると思ったのだろう。立派なスーツを着ていたから、きっとどこかの会社に勤めているビジネスマンに違いない。「訴えられたら、自分はこれからどうなるのだろう…」なんてことも、もしかすると思っていたかもしれない。
結局、わたしは彼を訴えなかった。その判断に、賛成してくれる人は多くない。逆に「再犯を防ぐためにも、けじめをつけるべき」という意見が多かった。しかし、私はこう思う。罰で罪を戒める、という方法ばかりでなく、赦されることで自分を恥じて、二度と罪を犯さなくなる。きれい事のようだけど、そういうこともあるだろうと。
つまり、旅人には北風ではなく太陽を、というやつだ。どんなシーンにもあてはまることではないと思うし、それこそケースバイケースだと思うけれど、今日の場合、彼は太陽を浴びてコートを脱ぐ人だというように感じた。風が吹けば吹くほど、彼の眉間の皺は深くなっていくだろう。そして、憎しみはさらに深まっていくだろう。
この判断が、正しいかどうかはわからない。もしかすると、彼は今日も東京のどこかで誰かに因縁をつけ、大暴れしているのかもしれない。私がきちんと届けていれば、彼は二度と罪を犯さないかもしれない。だけど、こういう言い方もできる。彼が暴力を振るわなくするためにやるべきことは、罰を与えることだけじゃない。彼自身が自分を「恥ずかしい」と思い、もう二度とそんな恥ずかしい気持ちにならないようにしようと決意するチャンスを与えることも、再犯を防ぐひとつの方法なんじゃないか。
今回のことのように、トラブルは、いつどこから降ってくるかわからない。そりゃあ、何もないにこしたことはないけれど、なにかあって、はじめて気づくこともある。 自分の身に起きることは、すべて必要なことなのだそうだ。とすれば、今回のトラブルも、私になんらかを気づかせるために起こったことなのかもしれない。ハワイに伝わる伝統的なヒーリング「Ho`oponopono(ホ・オポノポノ)」では、次のことが大切だと言っている。私も、今回のトラブルを素直に受け入れて、じっくり向かい合い、自分の責任で対処していける人間になりたい。
超絶ギタリストであり、クォーク日本版ローカライズの立役者でもある荻島氏。彼の奥様が、渋谷で開催するグンデルワヤン発表会で演奏するというので、彼に借りていたものを返しがてら、渋谷山東福寺霊苑まで出向いてみた。
グンデルワヤンを知らない人のために。「pondok gender wayang」の説明によると、「鉄琴状の青銅鍵盤(10枚)のそれぞれに竹の共鳴胴を持っています。楽器の左右の柱から紐を通して鍵盤を吊ってあります」とのこと。写真で見ると、形状はこんな感じ。楽器というより、美術品のようだ。
そして音は、こんな感じ。
楽器として一番近いものを挙げるとするならば、マリンバかな? でも、いろいろ違いはあって、たとえばマリンバは立って叩くが、グンデルは、座って叩く。また、マリンバは一人で一度にいろんな音を出すけれど、グンデルは4人一組で演奏し、音を4人で分け合って奏でる。それは、「何でも分かち合う」というバリ独特のコンセプトによるスタイルでもあるそうな。
グンデルは、通常4台ひと組で演奏するが、それぞれ少しずつ音の高さが違っていて、一緒に叩くとそのズレが微妙な響きを生み出す。その結果、音が「ゆらぐ」。この「ゆらぎ」が、おそらく人間の「脳」に不思議な影響を与えて、聴いているうちになんともいい気持ちになってくる。
これまで、あまりバリの音楽に触れる機会はなかったので、今日は初体験に近い状態だったが、2時間に渡ってじっくり聴きこんだせいか、すっかりハマってしまった。正直、ヤバい。ちょっと中毒になりそう。
今日は娘の実習最終日。「今日のお昼に食べたいから、おにぎりを一個作っておいて!」というリクエストがあったので、応援の気持ちをこめて、朝からせっせとおにぎりを握った。
そういえば彼女が大学受験のときも、毎朝、梅のおにぎりを2個作っていたっけ。緊張するとおなかが痛くなる癖のある彼女は、「梅おにぎりが、私のお守り」と言いながら、大事そうにカバンに入れて試験会場へ出陣していった。
実は、このおにぎり文化は、私の母親からの伝統だ。母のおにぎりは、握り加減といい、塩かげんといい絶妙で、本当に美味しい。これまでいろんな場所で、いろんなおにぎりを食べてきたけれど、いまだに母親以上のおにぎりを食べたことがない。
わたしの中で、母親のおにぎりというのはもう別格級の別格メニューだった。それがきっと身体のどこかに残っているからこそ、スペシャルな日の食卓には、おにぎりが登場するのだろう。そしてその習慣は、きっと娘にも受け継がれ、彼女の子供も受験のときは梅のおにぎりを所望するようになるのだろう。
昨日は、社員松田くんの誕生日。ということで、お誕生会を開いた。場所は、本人の希望により、新橋にある「炭火焼肉焼酎酒場肉屋 山本商店」になった。なんでも「肉屋の肉を食べたい」とのこと。
19時、スタート。まずは生ビールで乾杯し、肉を注文する。まずは、生肉を食べたいということでユッケ。
黄身を溶いて、混ざったところをすくって食べるのが美味しい。このあと、牛刺も食べる。舌の上に置くと、まるでバターのような味わい。すーっと溶けてしまい、肉特有のしつこさは全くない。
次に、この店の名物メニュー、壷漬け『M』ホルモンを注文する。すると、ツボに入ったホルモンが運ばれてきた。トングではさんで取り出そうとすると、どこまでもどこまでも伸びていく。焼くときは、お店の人がやってきて、切らずにそのまま上手に金網の上に乗せて焼く。そして食べる前に、はさみで小さく切っていく。食べてみると、プワプワっとしたコラーゲンが肉厚で、とろけるような味わい。明日の朝の肌の調子が楽しみになるような、コラーゲン料理だった。
ホルモン8点盛りも注文。京料理のように上品に盛り付けられた皿が、こちら。ミノは私の大好物だが、噛んだ瞬間「サクッ」という音がして気持ちよく噛み切れたのが衝撃だった。わたしの中では、今日一番のご馳走だった。
若い男性は、本当にカルビが好き。松田くんは「ゲタカルビ」を注文した。この写真がそのゲタカルビかどうかは忘れてしまったが、とてもきれいな肉だったのは確かだ。
さんざん肉を食べた後は、タピオカ入りヨーグルトでさっぱり。カコさんが食べたアイスキャンデーは、サービス品で無料だった。
毎晩会食続きだったせいか、体調が悪く週末はダウン。一日家でのんびり過ごそうと思っていたのに、相方がどうしてもインデアンカレースパを食べにいきたいというので、娘を誘って三人でお出かけ。東京駅近くのお店に出向き、インデアンカレースパを食べた。相変わらず、最高に美味しい。
ちなみに、この写真は社員の松田くんが撮影したもの。彼は、この間ひとりでインデアンカレースパを食べに行き、すっかり感激して帰ってきた。以下は、彼のmixi日記からの抜粋。彼の感激具合が伝わるだろうか。
一口、食べて悶絶しました。これは、かなり「ヤバい」。インデアンカレーは、ライスではなく、スパゲッティであることに、すぐに気がつきました。
分析すると、スパゲッティは茹でた後、おそらく一度火にかけていると思います。なので、麺とカレーの混ざり合い具合が絶妙。茹で上がった蒸気が飛ばされているので、水っぽくない。そこにうまい具合にカレーがからむ。混ざり合い具合が絶妙です。すばらしいの一言。
一番のお勧めは、黄身!カレーのルーと黄身をからめた「5cm×5cm」ほどのゾーンは、このカレーの宝物。食べるのがもったいない!と思えるほど、美味しいです。初めて食べれば、笑顔がこぼれること間違いない。
古くから日本人の食卓で見られる、「白飯×生卵」の組み合わせを、「インデアンカレー×生卵」が超えた、と思った瞬間です。
ずっと見たかった映画、「隠し砦の三悪人」のDVDを購入。この映画、黒澤×三船バージョンをみたときからのファンで、ぜひ現代版も見てみたいと思っていたのだ。しかも、演じるのが、あの松潤。しかも、テーマソングがあの「The Three」による「裏切り御免」。これはもう、どこを切っても大好物間違いなしの作品なのである。
そして、鑑賞後の感想。世間の評判はいまひとつだったようだが、私はなかなか楽しめた。六郎太演じる阿部寛は、ありし日の三船によく似た面構えをしていたし、雪姫演じる長澤まさみは、りりしくて優しくて、前の作品の姫よりずっとよかった(前の作品の姫は、ずっと甲高い声できんきん叫んでいたような覚えが…)。それに、なんたってストーリーがいい。これぞ、エンターテインメント! この作品からスターウォーズが生まれたのも、よくわかる。これは、映画に携わっている人間なら、ぜひ形を変えてやってみたくなるような話だ。
2009年01月にブログ「真花の雑記帳 Neo」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。
前のアーカイブは2008年12月です。
次のアーカイブは2009年02月です。