2007年12月2日 小橋建太復帰試合
小橋建太。1967年、京都府福知山市出身。
高校卒業後は京セラに就職し、サラリーマン生活を送る。
1986年6月。一度は断られたものの、全日本プロレスへ入団。
アジアタッグ王座、世界タッグ王座、そして三冠ヘビー級王座に戴冠するなど、
ひたむきなファイトスタイルが多くの支持を集め、日本を代表するトップレスラーに。
格闘技経験がないため、人一倍の努力を重ねる。
「休むのも練習のうちだ」
師匠であるジャイアント馬場が彼に言ったこの一言が、彼を表すエピソードだ。
全ては努力の賜物。それは、どのレスラーよりも鍛え上げられた肉体が物語っている。
2000年6月。プロレスリング・ノア旗揚げに参加。
2001年1月。長年の激戦による膝の影響が深刻化。5度の手術を敢行。
2002年2月。リハビリを乗り越えて395日ぶりに復帰。しかし、復帰戦のダメージから再欠場。
2002年7月。再復帰戦。
2003年3月。第6代GHCチャンピオンに戴冠。13回連続防衛の記録を打ち立てる。
圧倒的な強さ。そして誰もが納得する試合内容。
人は彼のことを「絶対王者」と呼んだ。人気も実力もまさに頂点を極めていた。
2006年6月。腎臓がんの発見。
2006年7月。右腎臓を摘除。
筋肉を増やすタンパク質の摂取は、腎臓に負担がかかる。
レスラー生活も絶望的に思われた。長いリハビリ生活が続いた。
2007年12月5日。日本武道館。546日ぶりの復帰戦。
17000人の前で彼は帰ってきた。
リハビリ中に集まった千羽鶴をくぐり抜けて、大声援を浴びながら入場してきた。
テレビ中継を見ると、テレビアナウンサーは、言葉を詰まらせ泣いている。
解説を担当したレスラーも、試合途中に涙ぐんで言葉にならない。
逆水平チョップ、袈裟斬りチョップ、ネックブリーカー、マシンガンチョップ、
スリーパースープレックス、ハーフネルソンスープレックス、バーニングハンマー(未遂)
そして、ムーンサルトプレス、豪腕ラリアット。
以前と変わらない彼の姿があった。
病魔を克服して、再び帰ってきた彼のことを、
人はこう呼ぶ。 困難に打ち勝った「鉄人」と−−。
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(あとがき)
困難に立ち向かう姿。
小橋選手には今回、本当に多くの勇気をいただきました。