インターネットビジネスの黎明期、タワーレコードの伏谷博之氏やデジタルガレージの伊藤穰一氏とともに、さまざまなサービスの立ち上げに関わってきた樋口理さん。ラッキーなことに、平成最後の日、「平成ガジェット鑑定ショー」でご一緒することになりました。せっかくのご縁なのでとPDA博物館の取材をお願いし、そのついでに1000人インタビューにもぜひとお願いしてご登場いただいたという、まさに「棚ぼた」企画です。インターネット黎明期の雰囲気が伝わる今回の記事、ぜひお楽しみください。
井上 樋口さんがパソコンに興味をもったのは、いつ頃ですか?
樋口 初めてマイコンを使ったのは高校時代にOBの方が持ってきてくれた「TK-80」ですが、お仕事として使ったのは、大学時代、アマチュア無線をやるつもりで入ったサークルにあった「PC-8001」。すっかり夢中になり、そのパソコンを貸してくれた「システムソフト福岡(現在のシステムソフト)」でアルバイトをするようになりました。後に「大戦略」というゲームや初期のMac用ソフトのローカライズなどをやることになる会社なんですが、当時僕はそこでゲームやNECのパソコンの同梱デモを作っていました。
井上 そのときはまだインターネットはなかったんですか?
樋口 日本でインターネットが始まったのは、1984年。JUNETという学術組織をつないだ研究用のネットワークが存在していたようです。しかし僕がインターネットに触れたのは、それから3年後の1987年。MSXパソコンの設計者として入社していたソニーで、VAX-11/785や「NEWS」というUNIXのワークステーションと黄色いイーサネットケーブルを使って、インターネットにつなげました。
井上 インターネットを初めて使った時の印象は?
樋口 インターネットというより、ネットワークでPC同士がつながること自体がすごいことだと感じました。これをうまく使えば、仕事のやり方が変わるかもしれないと。
井上 どんな風に?
樋口 例えば、当時は職場の庶務担当さんがお昼の弁当をいくつ頼めばいいか、一人ずつ聞いて歩いていたんです。でも、各デスクにあるPCがネットワークにつながっていれば、そんなことをする必要はない。各自が朝、パソコンでお弁当のオーダーをすれば、あとはそれを集計すればいい。そんなことは小さいことのように思うかもしれないけれど、実はこういうことの積み重ねなんだと。
井上 なるほど。人が動く代わりに、ネットワークがデータを運ぶんですね。
樋口 PC同士がネットワークにつながることで仕事のやり方が変わると確信した僕は、そういうことを始めている企業はないかと論文を読み漁りました。すると、アメリカにグループウェアをPCで作ろうとしている男がいるという情報を発見。それがロータスノーツだったんです。ちょうどそのときにロータスからヘッドハンティングがあったので、転職を決めました。
井上 すごいタイミングですね。それからグループウェアの仕事を始めたんですか?
樋口 その頃はまだ、プロトタイプしかできていなかったんで、しばらくは別の仕事をしていました。しばらく経って、ようやくロータスノーツが完成したというので見せてもらったんですが、実におもしろかった。
井上 ロータスノーツでランチのオーダーシステムができたんですか?
樋口 はい。しかも、簡単に。コンピューターの知識がなくても、誰でもシステムが構築できるような仕組みになっていたんです。
井上 やっと樋口さんが想像していた世界が実現したんですね。
樋口 しかし、もっとシンプルなことでもネットワークがすごいインパクトを持ってたこともあるんです。たとえば、ファイル共有。ただのファイル共有だって、昔はできなかった訳ですよ。マックとPCは、同じ3.5インチフロッピーなのに互換性がない。中身を確認しようとすると、「フォーマットが違う」「フォーマットしますか」なんて言われちゃう。
井上 そういえば、そうでしたね。ファイルの受け渡しに苦労していたことを思い出しました。
樋口 しかし、ネットワークを使ってPC同士がつながっていれば、そんなことに煩わされず、普通にやりとりできちゃう。「これはすごい!仕事のやりかたが変わるな」と思いました。
井上 確かにそうですね。今では、みんな当たり前のようにネットワークでやりとりしています。
樋口 当時のロータス社のミッションステートメントの中に “Change the way the world works” っていう文言が出てくるんですが、まさに「コンピューターとネットワークは、世界の働きざまをひっくり返すな」という予感がしたんです。
コメント