作家の日常(阿川大樹)
「終電の神様」や「D列車で行こう」「あなたの声に応えたい」など、数々の名作を世に送り出している人気作家、阿川大樹さん。実は、私(井上真花)と大樹さんは長年の付き合いで、私の「らくらくPalm生活」というメールマガジンをプロデュースしたのも彼でした。あのときは彼が担当編集で私がライターでしたが、今回ご紹介するのは、その大樹さん自身が執筆し、オンラインマガジン「騒人」に連載したエッセイ「作家の日常」です。
大樹さんは、以前、某会社の役員でした。しかし、あるときその職を辞め、作家を目指したのです。そのときのことを、彼は本書でこう語っています。
ひとりの人間の人生に、平均などなんの意味も持たない。自分がいつ死ぬのかはだれにもわからない。人は死ぬ。死ぬときに自分は何をしていたいのか。死ぬまでに何を成し遂げたいのか。それを考えた。
自分は小説を書きたい。命のある限り小説を書き続けて、小説家として死にたい。
目の前の仕事がどんなに面白くてやりがいがあろうと、そんなことをやっているヒマはない。人生は有限で、しかも、いつ終わるかわからない。
それから目の前の仕事を片づけるのに数年かかった。
会社員を辞めて専業小説家志望者になった。
そのとき、彼はすでに40才過ぎ。作家デビューするには、決して若くない年齢です。でも、彼は諦めませんでした。
小説家としてデビューするには、受賞作が単行本として出版される長編の新人賞を獲るのが近道だ。中学生の頃から小説を書き続けていたけれど、200枚を超える小説は書いたことがなかった。
初めて書いた600枚の長編小説が、第16回サントリーミステリー大賞の最終候補になった。順調な滑り出しだと思ったが、いくつかの賞の次点になったものの、会社員を辞めてからデビューするまでに9年かかった。
それまで出版社に持込をしたり、新人賞に応募し続けていたのだ。
デビューまで、思ったよりも長い道のりだったけれど、不思議なことに「自分は小説家になれないのではないか」と不安になったり自信を無くしたりしたことは一度もなかった。本当に不思議だと思う。
何の客観的な根拠もないのに、将来、自分は小説家という職業に就く、ということを、9年間、一瞬たりとも疑うことはなかった。
こういった興味深いエピソードに加え、仕事場・道具、編集者とのつきあい、印税と原稿料など、作家のリアルな日常を描くエッセイ集。阿川大樹氏のファンはもちろん、作家という仕事に憧れている人、そうでない人も、ぜひ一度ご覧下さいませ。
コメント