【#0021】セレブから一転、どん底に! 段ボール生活を経て秋月雅史さんが手に入れた「幸せな暮らし」とは?

1000人に会いたい PJ

友人からの紹介で10年前に知り合った秋月さん。その後、あまり顔をあわせる機会はありませんでしたが、フェイスブックでの投稿を見ていると、どうも以前とは様子が違うような。そこで、「最近、どう?」と声をかけつつインタビューを依頼。ここ10年間の変化についてお話を伺うことが出来ました。その内容たるや、まさに山あり谷あり! 「事実は小説より奇なり」を地でいってます。

井上 秋月さんは40代前半に会社を辞めて、起業されたんですよね。

秋月 はい。44才まで某IT企業に勤めていて、その後、自分の会社を設立しました。それが2007年だから、ちょうど12年か。

井上 それまでは、どんな暮らしをしていたんですか?

秋月 起業するまでは、将来の不安なんて感じることはありませんでした。夫婦で仕事していたから、お金はありましたし。葉山のマンションで暮らして、週末にはヨットにのって遊んでましたよ。海を見ながら、近くの漁港で買ってきた新鮮なお魚を食べつつ、上等なワインを飲む生活。そんな暮らしを、ずっと続けていました。

秋月さんが葉山のマンションに住んでいた頃、ご自身で撮影された写真。セレブ!

井上 ものすっごいセレブ感! 夢の生活ですね。

秋月 「アリとキリギリス」でいうところの「キリギリス」でした。ところが、ちょっとした思いつきで会社を辞めて「新型インフルエンザ対策」を柱としたセキュリティの会社を設立したのが運の尽き。途中まではうまくいっていたんですよ。2009年に下向きになり、2010年にはどん底に。私の稼ぎがなくなったどころか、借金まで背負うことになり、金の切れ目が縁の切れ目。当時の妻と離婚することになりました。それですっかりヘタれてしまって、キリギリス生活を強制終了。葉山のマンションから出て行くことになりました。

井上 お金も家族もなくしてしまったんですね……。

秋月 素敵な海辺の家もなくなっちゃいました(笑)。借家に引っ越したものの、お金がなくてカーテンひとつ買えなかった。だから日中は日差しがまぶしくて、しばらくの間は引越しの段ボールを引き裂いて窓に貼って凌いでいました。段ボール、意外と便利で、寒さ対策にも使えるんですよね。知ってました?

井上 いえ、さすがに段ボールを貼って生活したことはないので……。

秋月 そんな風に工夫しながら日々の生活をやり過ごしていたら、運命的な出会いがあったんです。中国への留学から帰ってきた若者と飲み屋で話をしているうちに意気投合し、一緒に仕事をしようと言うことに。私も彼もお金がなくて困っていたから、ついでに部屋をシェアして家賃を折半しようというもくろみもあって(笑)。

井上 まわりから見たらなんと思われたのかしら。ゲイカップル?

秋月 いやいや(笑)。彼と私は見た目がよく似ていたので、周りからは「兄弟」と思われていたようですよ。彼にはお姉さんがいて、自然と彼女も一緒に遊ぶようになり、やがて私と付き合うようになりまして。そんなこんなで子どもが出来ちゃって、再婚することになったんです。

井上 あれ。秋月さんは、それまで「子どもはいらない」っていってなかったっけ。

秋月 はい。私はずっと自分が子ども嫌いだと思っていたので、必要ないと。ところが、ある日突然、子どもを授かってしまった。それで、否応なしに「子どもがいる生活」に突入ですよ。

井上 子どもができて、どう思いました?

秋月 人って変わるもので、自分の子どもを見た途端、「なんて可愛いんだろう」と(笑)。今では「子ども、大好き!」で、人の子どものオムツだって替えられるようになってしまいましたよ。

井上 セレブでもなくなったし、子どももできたし。変われば変わるものですね。

秋月 そうなんです。キリギリス時代と全く逆の生活ですよ。しかも悪いことに、リーマンショックまで起きてしまって。その影響で仕事がどん底になり、収入がさらに激減。会社の借金は返済できないし、年金や保険、税金も払えなくなってしまいました。

井上 当時は確かにひどかった。私の知っている会社も、どんどん潰れました。

秋月 それに加え、私、お金の計算が苦手だったみたいです。それで、見かねた妻がそろばんを弾いて、お金の管理をしてくれることになりました。苦手なそろばん勘定から解放された私は、馬車馬のようにひたすら働くことに。そのおかげで、少しずつお客様が増えてきて、最終的には会社の借金も返すことができました。ほんと、妻のおかげです。

井上 お話を伺っていると、まるで2つの人生を生きたみたい。

秋月 そうです。葉山の暮らしを考えると、まるで前世のように思えます。飲む酒だって、全然違うんですよ。葉山にいた頃はワインセラーがあり、その日の気分で飲みたいワインが選べた。今は、ブラックニッカと黒霧島。

井上 いいじゃないですか、黒霧島。私は好きですよ。ところで秋月さんは、以前のセレブ生活と今の生活、どちらが幸せでしたか?

秋月 うーん……今かな。葉山時代は、妻も仕事をしていたから、たとえ私が仕事をしなくても生活できたんです。でも今は、妻は専業主婦で子育てをしていて、私の収入しかない。だから、自分で稼がなくちゃいけない。それって一見、つらいことのように見えるけど、私にとってはとても大事なもの。葉山時代、いつもなにか足りないような気がしていたけど、それはこの「圧倒的な現実感」だったと思うんです。

井上 現実感? それはどういうことなのかしら。

秋月 きっと、もっと仕事がしたかったんですよ。自分だけができることでなにか成果を出したいし、人の役に立ちたい。子どもの頃から、そういう気持ちが強かった。だから、お堅い企業の正社員を捨てて起業し、そのあとえらい目に遭っても諦めなかったんでしょう。

井上 企業の正社員のままではやれなかったの?

秋月 そんなことはなくて、きっとやれるし、実際いろいろやっていた。でもそれは、「秋月でなければやれない」というものではなかった。尊大に聞こえるかもしれませんが、私は「ほかの誰かができる仕事」は自分の仕事だと思えない。きっと私は、「これが私のやり方だ」と主張したいという気持ちが強いんですね。その主張が世の中に通れば、きっとそれはお金になる。そう思ったから、起業を決めたんです。

井上 セキュリティで秋月さんの能力は活かされると思ったんですか?

秋月 仕事の分野はなんでもいいんですけどね。目の前にある状況を大づかみに把握し、「だったら、こうすればいいんじゃない?」と新しい方向性を提案する。それが私の能力なんだと思います。今、ある人と新しい仕事を進めているんだけど、彼は私のやり方を尊重してくれる。私のやり方が、今、ちゃんと評価されて仕事になっているという手応えがあります。だから今、幸せを感じているのかもしれません。

井上 やりたい仕事ができるようになったんですね。

秋月 私の能力を理解して仕事を依頼してくれる人がいる。そこに「私の能力が活かされている」という実感があり、幸せを感じることができるのだと思います。

井上 仕事好きなんですね。あまりキリギリスでもないような……。

秋月 あれ、じゃぼくは何なんだろう(笑)

井上 つまり、こういうこと? 以前はセレブな生活をして楽しかったけど、なにか足りないという思いがあった。今は前より平凡な暮らしだけど、足りないものがない。

秋月 いや、お金は足りないけどね(笑)。子どもの教育費は必要だし。彼らの未来のためにぼくは稼がなくちゃ行けない。今の「平凡な暮らし」が幸せだと感じられる一番の理由は「子ども」です。子どもたちの笑顔は、とても大事。娘と息子がまだ小さかった頃、家に帰ると玄関まで「パパー!」って走って迎えに来てくれたんだけど、あれは嬉しかったなあ。そういう笑顔を大事に思うから、つらいことがあっても続けられる。平凡だけど、それが根っこのパワーになっていると思う。

井上 多分、秋月さんみたいな経験をすると、ほとんどの人が腐ると思うんですよ。プライドが傷つくから、こんな話すらできないはず。でも、秋月さんはそれが平気なんですね。それはなぜだろう?

秋月 そう言われれれば、たしかに。おそらく、誰より楽しむことに関してしぶといんじゃないかな。なんでも楽しめちゃう。窓に段ボール貼るような悲惨な状況でも、「これ、意外といいんじゃない?」と楽しめる。たまに自己嫌悪で落ち込むこともあるんだけど、長続きしないんだよねえ(笑)。

井上 真花(いのうえみか)

井上 真花(いのうえみか)

有限会社マイカ代表取締役。PDA博物館の初代館長。長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都台東区に在住。1994年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「マイカ」を設立。主な業務は、一般誌や専門誌、業界紙や新聞、Web媒体などBtoCコンテンツ、および広告やカタログ、導入事例などBtoBコンテンツの制作。プライベートでは、井上円了哲学塾の第一期修了生として「哲学カフェ@神保町」の世話人、2020年以降は「なごテツ」のオンラインカフェの世話人を務める。趣味は考えること。

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