【隠居の書棚】 #03 『13・67』陳浩基

ミステリ倶楽部

 ネット書店では、本との偶然の出会いがなくなると言われるし、実際そう感じることも多い。だが、何事にも例外はある。ネット書店は、絶版になった小説や古い雑誌の膨大なデータベースでもあり、そこに思いがけない出会いが生まれるのも、また必然だからだ。
 2019年もあと数日と押し詰まったころ、amazonを見ていて、ハヤカワミステリマガジンのバックナンバー(2019年3月号)の表紙が、ふと目に止まった。真っ赤な地色に巨大なフォントで「華文ミステリ」とある。「華文」には美しい文章という意味もあるが、これがそれを指していないのはわかった。中国語のことだ。
 昨夏、書店で鳴り物入りで紹介され、山積みされていた『三体』という中国SFの存在を横目で見ていたが、ミステリにもすでにそういう潮流が来ていたことを、情けないことに、この時点までまったく知らなかった。
 こんなコラムを書いていることから、僕をかなりディープな本格ミステリマニアだと思ってらっしゃる方もいるかもしれないが、残念ながら違う。若い頃はともかく、少なくとも近年はアンテナを延ばすのをさぼり、海外ミステリから遠ざかって、年末のミステリベストテンさえあまりチェックしなくなってしまっていた。そもそも読書量自体が、がたっと減った。暇な隠居のくせに、お恥ずかしい限りだ。
 何かに追い立てられるように、偶然知った華文ミステリの潮流について検索をかけ、その流れを遡った。源流は何年も前から、雫となってちろちろと流れ込み始めていたようだが、2017年、それを急流に変えた決定的な作品があったと知る。
 陳浩基(ちんこうき)『13・67』である。

◆華文ミステリの今

 年末年始の数日間は、華文ミステリの現状について調べ、『13・67』(電子書籍版)を読んで過ごした。
 『13・67』を紹介した文藝春秋社と、早川書房が、華文ミステリを紹介するメインの舞台になっているようだ。
 実を言うと、これまでに華文ミステリにまったく触れたことがなかったわけではない。2012年発行のクイーンの贋作/パロディ集『エラリークイーンの災難』(飯城勇三編訳)に収録された『日本鎧の謎』が、まさしく近年の中国人作家、馬天による華文ミステリだったのだ。
 付された解説によると、この短編は2005年にクイーン生誕100年を記念して作られたファンたちによる冊子に掲載されたものである。現代中国作家には、島田荘司以降の新本格作家に影響を受けた人が多く、この作品もそういうタイプであると書かれている。新本格風のクイーンパスティーシュが書かれるような濃い土壌は、すでに2000年代初頭にあったということだ。
 いろいろ調べているうちに、わかったことがある。たしかに今活躍している多くの作家たちは、日本のミステリの影響が色濃く投影されているらしい。
 『13・67』も、おそらく例外ではない。本格のスピリッツが、この作品を貫いている。

◆香港ノワール?

 とはいえ、『13・67』を濃厚な本格ミステリ作品として単純に紹介するのは躊躇してしまう。先入観なく読めば、香港警察組織の活動をアクションを交えて激しく描いた「警察小説」に見えるからだ。
 しかも、その警察が相手にするのは、覇権を争うマフィアの親玉同士の抗争、逃亡する脱獄犯、無関係な市民を銃器でなぎ倒す凶悪ギャング、子供を人質にする営利誘拐犯、爆弾テロを起こすゲリラたち。通常本格ミステリがあまり扱わない(扱うのを嫌う)タイプの犯罪者が起こす、即物的な暴力事件ばかりだ。まるで香港ノワール映画の世界である。
 正直言って、普段なら敬遠したい内容だ。ジョン・ウーの映画は『M:I-2』ぐらいしか観ていない。
 だがしかし、もう少し我慢して、具体的に作品を見ていこう。この小説は、三つの顔を持っている。社会派ミステリの顔、警察小説の顔、本格ミステリの顔である。 

◆社会派の顔−香港半世紀の年代記

 これは、香港というかなり特殊な歴史をたどった都市の、約50年間を描いたクロニクル(年代記)である。歴史的な転換点を選び、6つの短編(というには長いので中編か)で構成されている。
 『13・67』という不思議なタイトルは、第一話が起きる西暦2013年と最終話(第六話)が起きる1967年を表している。この物語は時代を逆にたどっていく「逆年代記」なのだ。
 現代の香港警察の状況からはじまり、香港がたどった社会の変遷、それに応じて変化していく警察組織を、事件を通して並行して描いていく。現代的なサラリーマン型警察、不安定な時代に治安を守る盾となっていた警察、英国統治の時代に汚職にまみれていた警察、権力者の犬として市民を弾圧していた警察・・・。各時代を生々しく活写した、非常に骨太な社会派を感じさせる部分である。
 作者はあとがきで「私はミクロ的には本格派の、マクロ的には社会派の作品を書いたということになる」と語っている。

◆警察小説の顔−迫真の捜査活動の記録

 「ミクロ的には本格派」と作者は語っているが、第一話を除く(なぜ除くかは後述する)二話から六話めまでの各編は、ミクロ的に見ても、とてもじゃないが本格ミステリには見えない。
 それどころか、先に書いたように、血と硝煙の臭いがたちこめる裏社会の描写が続く。各時代の香港警察が、マスコミにつきあげられつつ、組織内の確執をかきわけて、事件を執念深く追っていく。
 その描写がどこまで現実的なのかは判らないが、少なくともフィクション上のリアリティは相当なもので、時代の変化に伴う警察組織内部の変遷や軋轢、警官たちの矜持と正義と腐敗までも描き、濃密かつ重厚だ。本格ミステリに偏った指向を持つ僕でさえ、その力強い筆力には引き込まれざるを得なかった。
 華文ミステリが日本のミステリやカルチャーの影響を受けているというのなら、横山秀夫、今野敏、佐々木譲などの書く警察小説が席捲した、近年の日本ミステリの波が伝わっているのも当然かもしれない。
 そんな「謎や推理」とは真逆に位置しそうな作品が、果たして「ミクロ的には本格派」でありうるのだろうか?

◆本格ミステリとしての顔−見えていたものすべてが反転される

 この小説には、全編に渡って「神の如き名探偵」として機能する、クワンという警官が登場する。彼は、時の権力に踊る警察の変遷に惑うことなく、香港の民衆のために正義を貫く天才として描かれている。
 血なまぐさい事件を追う警察の捜査が緻密に描かれ、その色が読者に刷り込まれたころ、クワンが口を開く。そして、それまで読者に見えていた事件の色が、まるで黒が白に入れ替わるように、全然別の意味を持って立ち上がってくるのだ。
 リアルな警察捜査小説から本格ミステリへの転調は、突然やってくる。最初は何がおきているのか、頭がついていかないぐらいだ。仮説を組んでは崩していくディスカッションの果てではなく、突然、今まで見ていた景色がひっくり返される。そのため、読者は何が謎だったのかさえ把握しないまま、クワンの語る真相を、目を白黒させて聞き入ることになる。挙句の果てに、単に「真相はこうでした」と結果だけを種明かしされるのではなく、これまでに無数の手がかりや伏線が敷かれていたことをいちいち指摘されるのだ。こうなってしまうと、ぐうの音も出ない。
 では、本格ミステリに転調することにより、そこまでの緊迫した警察捜査小説は、茶番に見えてしまうのかというと、そういうわけではない。重厚な警察小説に、さらに本格ミステリの濃厚な味付けまでプラスされて、乖離せず溶け合い、食べたことのない味わいのご馳走になるイメージだ。もちろん香港製XO醤で、中華料理であることも主張している。
 この警察小説と本格ミステリが溶け合う感覚は、本格ミステリ作家クラブの2004年の年鑑(当時、講談社ノベルスより毎年刊行)で『眼前の密室』という短編を読んだ時に感じたものに似ている。本格ミステリとは真逆のタイプの本を書いていると思いこんでいた、横山秀夫の警察小説の「本格度」に驚愕したのだ。確か横山は、本格ミステリ作家クラブに所属してないにも関わらず、この作品が年鑑に採られたと記憶している。それほど、本格ものとして魅力的だったのだろう。
 横山秀夫作品は、おそらく陳浩基にも大いに影響を与えていると思うが、警察小説と本格ミステリを撹拌する具体的な手法は、かなり異なっているようにも感じる。
 前半の粗暴な暴力事件が、突然反転して別の景色に変換するサプライズは、より新本格作家の手法に近い感触がするのだ。
 この感覚がどこから来ているのか、続けて読んだ陳浩基の短編集『ディオゲネス変奏曲』を読んだ時に、ふと思い当たった。しかし、今回のコラムは、すでにかなり長くなってしまったので、この本にふれるのは次の機会にしたい。

◆第一話は異色作

 『13・67』の各編について、「表面上は本格ミステリらしくない」と書いたが、このとき第一話を例外とした理由を説明しよう。第一話は、巨大企業の資産家が屋敷で殺された事件で、遺産を受け継ぐ一族が名探偵の前に集められ、証言し、検討されるという、本格ミステリでなければあり得ないようなシチュエーションの物語だからだ。
 その上、名探偵クワンは死の床についた病人であり、もはや口も目もあけられぬ状態。ある意味、究極の安楽椅子探偵ともいえる。一同が集められたのは、その病室という特殊環境。そんな荒唐無稽ともいえる「クワン最後の事件」から物語の幕は開くのだ。
 この事件には悪魔的な「操り」と「二重解決」というクイーン的なモチーフが垣間見えるが、作者が意識したかどうかは判らない。これ一編でも濃密な本格ミステリの傑作だ。いや、六編それぞれが、すべて高水準を達成していて、贅沢極まりない。
 そして全巻を読み終わった時、多くの読者が、あらためて一作目を振り返って、深い感慨を抱くよう仕掛けられていて、そのお手並みには、ため息が出るに違いない。

◆牽強付会のブックガイド

 電子書籍として文藝春秋社より『陳浩基『13・67』の魅力とは』(無料)、『華文ミステリーvs.日本ミステリー アジア発、ミステリーの新潮流』という華文ミステリ関係のガイドが出ているが、このコラムを書くのにあまり影響を受けてはいけないと思い、実はまだ読んでいない。
 華文ミステリは読み始めたばかりなので、ここでは、警察小説と本格ミステリが融合した作品を紹介する。
 本文中に書いた『眼前の密室』は、倉石検視官を主人公とするシリーズをまとめた『臨場』に収められている。倉石は、刑事より先に事件現場を仕切る、鑑識の人間ならではの彗眼で事件を見通す。明らかに、名探偵の系譜に属する天才肌として設定された人物だ。横山秀夫の警察小説で特に「本格度」が高い作品(評価も高い)としては、『第三の時効』もあげられるだろう。
 警察小説を確立した、あまりにも有名なシリーズに、エド・マクベインの「87分署」があるが、amazonを見ると、初期の傑作でさえ品切れになっていて、寂しい限りだ。八作目である『殺意の楔』は二重の意味で異色作といえる大好きな一編。メインプロットは、87分署の刑事部屋に、キャレラ刑事を殺そうと乗り込んできた女が、ニトログリセリンの瓶をもって立てこもるというサスペンス。当のキャレラは外出しており、彼が捜査しているのが、なんと密室殺人なのだ。このトリックは漢字一文字で言い表せるぐらいのシンプルさで、とても素晴らしい。密室トリックの原理としてもっと言及されてもいいと思うのだが。

今回ご紹介した書籍のカバー写真。
左から「臨場」「第三の時効」「エラリー・クイーンの災難」
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白井 武志

早期退職後、大阪から琵琶湖のほとりに移住して、余生は釣り(トップウォーターバス、タナゴ)をして過ごす隠居。パソコン通信時代を知るネットワーカー。PCの海外RPG、漫画、海外ドラマ、本格ミステリなどを少々嗜む。

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