【隠居の書棚】 #05.5 映画『ナイブズアウト』補遺と考察

レビュー&コラム

 『ナイブズアウト』を再び観た。初回の感想については、先日公開されたこちらの記事をみて欲しい↓

https://www.office-mica.com/magazine/entry/2020/02/10/145935/

 良くできた本格ミステリは、二度読める。手がかりや伏線の配置、構成の巧みさ、レッドヘリングの撒き方、トリックの効果的な活かし方などを、後からじっくり検証すると、意外な発見があって楽しめるのだ。「二度読んで楽しめるのが良いミステリだ」なんて誰かが言っていた気がするが、大筋で賛成だ。
 本ならば拾い読みやななめ読みもできるし、ビデオ映像は早送りや一時停止が可能だが、公開中の映画は、わざわざ劇場に出かけて行って、二時間かけて観なおすしか手がない。『ナイブズアウト』は、それでもまったく退屈させられることがなかった。シンプルに面白いのである。
 「二度観ても面白いミステリ映画は、良いミステリ映画」なのだ。
 …とはいえ、再度検証すると、問題点もいろいろ見えてくる。今回のコラムは、より内容に深く触れることになるので、白紙で映画を観たい人は読まないでほしい。もちろん、本質的なネタバレはしないつもりだが、カンのいい人にはいろいろ判ってしまう恐れもある。

◆お詫びと訂正

 前回のコラムで「吹き替え版では表現できない、大事な手がかりがある」と書いたが、それは間違いであった。申し訳ない。
実は、字幕版でもまったく表現できてなかったのだ。それどころか、字幕という「文字」にすることによって、完全に「事実ではないセリフ」になり、むしろ非常にアンフェアな手がかりになっていたのだった。当初これに気が付かなかったのは、恥ずかしい限りだ。
とはいえ、これは英語で聞いているからこそ成立する手がかりではある。だから、どう訳せばいいのかアイディアが浮かばない。かといって無視するにはあまりに重要(なにしろモロに犯人を名指ししている!)なセリフなのだ。本来なら、翻訳家や日本の制作会社が知恵を集め、監督の確認を経た上で、思い切った意訳や変更を検討せねばならないところである。それを怠って嘘の混じった字幕を入れたことは、この完成度の高いミステリに対して(日本側の対応が)傷をつけることになったとさえいえるだろう。今後、DVD化などの際は、より適切な形になることを期待したい。

◆探偵の名前

 ところで、現職(?)の007/ジェームス・ボンドであるダニエル・クレイグが演じる探偵の名は「BennoitBlanc」。フランス系の名前らしく(blancはワインでおなじみの「白」)、これはベルギー人で仏語読みのエルキュール・ポアロ(HerculePoirot)へのオマージュかと思われる(クリスティに捧げられた映画であると宣伝されている)。パンフや字幕では仏語っぽく「ブノワ・ブラン」と訳されているのだが、実際に映画で聞いていると、本人も周りも「ブランク」と、明らかに最後のCを発音している(ブノアのほうは未確認なので、ご覧になる方は良く聞いてみて)。
探偵自身は南部出身のアメリカ人で、英語読みをしているようなのだ。なのに、日本表記ではブランと仏語読み。なんだかしっくりこない。脚本だけを読んで訳されたのだろうか。

◆クラシックなクリスティ的パッケージの中身は…

 前回のコラムでは、物語中盤で古典的「犯人探し」を「コロンボ効果を狙った倒叙ミステリ」へ移行し、映像的に映える面白さに変化させたのではないか?という妄想めいた仮説を書いた。今回、再確認して、この仮説が強化されたように感じた。
二度目の鑑賞時に時間を計ってみたところ、視点人物の回想で、事件当時に何がおきたのかという「真相」が明かされるのは、中盤どころか始まってたった30分後からだった。起承転結の「起」にあたる、事件の概要と登場人物の紹介が終わった途端に、である。
つまり誰が犯人で何が起こったのか?という最大の謎は、本筋が始まる前に、終了してしまうのだ。
その後、「事件の真相を知っているが故に犯人的な役割を与えられた」人物と探偵が、一見協力して捜査を行いつつも、見えない火花を散らして対決していくことになる。とぼけた様子でジリジリと捜査を進める探偵と、隠蔽工作の証拠を糊塗しようと奔走する犯人(的人物)。この構図はまさにコロンボである。起承転結で言えば「承と転」は、この構図から得られるサスペンスで引っ張っていくといっていい。犯人探しではないのだ(と思わせておいて…なのだが)。
地道な捜査や尋問を、映像的に退屈させずにサスペンスの中で描くこの手法は、もちろん意図的にとられたものに違いない。
監督がコロンボ式を、換骨奪胎したという傍証として、途中『ジェシカおばさんの事件簿』がテレビで流れるシーンがある。『ジェシカおばさん』はコロンボを生み出した製作者ウィリアム・リンクとリチャード・レビンソンによる人気ミステリドラマであり、これは明確なオマージュといえないだろうか。
フレーバーはクリスティだが、実質的な構造はコロンボ。一見ありふれた、クラシックな犯人探しの謎に見せて、実は映像向きのサスペンスをエンジンに隠し持っているのだ。

◆大事な部分のアンフェア

 コロンボ式の「探偵VS 犯人」が物語を引っ張ると言ったが、もちろんそれで終わるわけではない。驚くべき遺言書の発表とそこから起きる騒動、謎の恐喝者の登場、第二の殺人…と、「犯人的人物」の想定外に物語は広がっていく。この幾層も複雑な物語を積み上げていく手際が見事である。安物の二時間ドラマのように「このへんで一人殺して視聴率あげとけ」という薄っぺらな理由で人が死んだりはしない。
そのスピードについていけなくなるぐらいに事件に翻弄され、やがてある決定的な証拠が、さらに奥の真相をあぶり出す。
ところが。
探偵は、この決定的な証拠の中身を見たはずなのに、観客には解決編になるまで教えない。
これ、すごくアンフェアである。探偵と読者(観客)は同じ情報を与えられなければならない。それが本格ミステリのルールだ。
ところが、ラスト付近ではすごいスピードで目まぐるしく物語が展開し、怒涛の勢いで解決編に入ってしまうので、最初に観たときはこのアンフェアさに気が付かなかった。うかつだった。
でも、ちょっとずるいよなぁ。
あれの中身を見せても、観客は頭に「????」を浮かべたまま解決編に導かれるだろうから、隠す必要ないのである。むしろ謎がひとつ増えて、解決編がますます楽しみになるはず。
ここまでほぼ完璧なフェアプレイを誇っていたのに、肝心なところで弱気がでてしまったようだ。もったいないなー。
でも、この映画が、誰もが楽しめ、ミステリマニアも満足させる最高到達点であるのは間違いない。ぜひ観に行って確かめてほしい。

白井 武志

早期退職後、大阪から琵琶湖のほとりに移住して、余生は釣り(トップウォーターバス、タナゴ)をして過ごす隠居。パソコン通信時代を知るネットワーカー。PCの海外RPG、漫画、海外ドラマ、本格ミステリなどを少々嗜む。

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