これは一昨年、道路一面に散り積もった花びらが綺麗で、思わずチンクを停めた時の写真。もう一枚、ルーフ越しに見えるのは去年の麗かな光に揺れる桜花。こうして写真を眺めると、まるで懐メロが聴こえてきた時のように色々なことを思い出します。でもそれは写真を撮った瞬間のことよりも、その頃自分の身辺に起きていたことの方が鮮やかに蘇ってくるのです。
思い起こせば、私がチンクに出会ったのも晩春でした。随分悩んだ末、出向先から本社へ戻ることを決めたすぐ後の出会い。雨が降る中、クルマ屋さんへチンクを見に行きました。時期的にみても、日本の春は節目。それまでの日常が終わり、新しい何かが始まる季節。それに起因する出会いや別れなど、感傷的なイベントが数多く起きるので、より深く印象に残っているのかもしれません。
桜は毎年美しく咲きます。そして、誰もが「あゝ、今年も咲いたね」と待ちわびた再会に愁眉を開く思いがします。一年に一度の短い春、一斉に開花して散る桜。いきなり鮮烈な印象を与え、もう少し、あと少しだけと、恋慕の情にも似た思いを掻き立てるや否や、さっと身をひく幕引きはまさに粋。その潔さゆえに人は来年も桜に会いたいと願うのでしょう。
「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
親鸞聖人が詠んだ和歌です。「明日の自分(命)はどうなるのか分からない、
だから今を精一杯大事に生きていきたい」との思いが込められているとか。
今年の春は例年とは違うことを多くの人が感じて生きています。また、自分の行動が他の人の命に深く関わっていることを意識した初めての年かもしれません。厳密に言えば、来年の桜の花は今年の花とは違いますが、来年は満開の桜を心から愛でられるよう、今を生きていきたいものです。
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