こんにちは。井上真花です。日々、ネットニュースやブログ、メールマガジンを見ていると、「これは!」と感銘を受けるテキストに出会うことがあります。この「PickUP!」は、私が見つけたとっておきのテキストを紹介するコーナー。著者に許可をもらったテキストを、順次紹介していこうと思います。
第4回は、昨日に続きまして、立正大学の社会学科教授であり、日本人として初めて英国ケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了された犯罪機会学の専門家、小宮信夫先生のホームページから転載させていただきます。
昨日転載したのは「2020年4月の雑感」という記事でしたが、本日は「2020年3月の雑感」です。小宮先生は、ここでも新型コロナウイルス感染対策について言及されています。
新型コロナウイルスの影響により、日本社会が危機管理の実験場となった様相を呈している。広義の危機管理には、平時に行うリスク・マネジメントと有事に行うクライシス・マネジメントがあるが、どうやら、リスク・マネジメントを十分に行わないうちに、クライシス・マネジメントに移行してしまったようだ。
このあたりは、これまでの防犯対策とよく似ている。例えば、学校では、地域安全マップづくりによる景色解読力を高める教育(リスク・マネジメント)がないがしろにされる一方で、防犯ブザーの配布や走って逃げる練習(クライシス・マネジメント)が行われてきた。つまり、「襲われないためにどうする」ではなく、「襲われたらどうする」という発想が、まかり通ってきたのだ。
新型コロナウイルスへの感染が日本で初めて確認されたのが1月15日、同ウイルスの発生地である武漢市が封鎖されたのが1月23日。しかし、日本が対策本部を設置したのが1月30日だった。一方、台湾では、同ウイルスへの感染が初めて確認されたのは1月21日だが、対策本部を設置したのは1月20日だった。つまり、日本は自国内感染と武漢封鎖の後に動き始めたのに対し、台湾は自国内感染と武漢封鎖の前にすでに動き始めていたのである。これが、リスク・マネジメント(台湾)とクライシス・マネジメント(日本)の違いだ。
もちろん、政治家は感染症の専門家ではない。しかし、リスク・マネジメントの思考に慣れる必要はある。専門家が10人いたら、最も悲観的な人の次に悲観的な人の意見をベースにして予測するのが、リスク・マネジメントの思考だ。しかし、今回の対応は、8~9番目に悲観的な人(要するに、楽観的な人)の意見をベースにしたように思えてならない。信じたい情報ばかり探してしまう「確証バイアス」や、「たいしたことはない」と思い込む「正常性バイアス」が作用したのであろう。とりわけ、集団感染が起きたクルーズ船のゾーニングが不十分だったことの可視化は、日本の公園とトイレのゾーニングがグローバル・スタンダードに達していないと主張してきたボクの臨床研究を見ているかのようだ。
リスク・マネジメントの基本は、「最善を望み、最悪に備えよ」「想定外のシナリオを想定せよ」である。分かりやすく言えば、「悲観的に準備し、楽観的に行動せよ」だ。映画の黒澤明監督も、「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」と語っている。ところが、どうも日本では、「楽観的に準備し、悲観的に行動する」ことが多い。
月をまたいで、局面はクライシス・マネジメントへと移った。政府が打ち出した対策については、「独断専行」「事前の相談もなく」「見切り発車」といった批判が多いが、そうした主張も、リスク・マネジメントとクライシス・マネジメントの違いを踏まえていない。リスク・マネジメントではボトムアップだが、クライシス・マネジメントではトップダウンが定石である。「孫子の兵法」でも、「拙速(短期決戦)の成功例は聞くが、巧遅(長期戦)の成功例を見たことはない」と書かれてある。もっとも、今回のケースでは、リスク・マネジメントが不十分であったため、クライシス・マネジメントの副作用は、その分大きくなるが――。
実話を描いたナショナル・ジオグラフィックのテレビドラマ『ホット・ゾーン』(写真左)と、科学的考証に基づいて作られた映画「コンテイジョン」(写真右)は、感染症の危機管理の入門編として参考になる。
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