【隠居の書棚】 #08 『プレゼント』若竹七海

ミステリ倶楽部

 全世界的パンデミックというSFの中の出来事を実体験せざるを得なくなった昨今、皆さん、いかがお過ごしだろうか。
 僕はというと、釣りも、読書も、映画も、海外ドラマにもなんだかのめり込めず、ただ、だらだらと腐った籠城生活をしていた。しかし、待ち望んだ海外PCゲームの「有志翻訳」が完成したと聞いてダウンロードし、ここ一ヶ月、それをチマチマとやっている。
 ゲームをしたくて中古パソコンを買った日から30数年。「週刊ファミ通」がらみの仕事を10年以上していたにも関わらず、僕は「PCゲーム原理主義者」を名乗ってきた。だが、一時は翻訳PCゲームはすっかり衰退して、PCでゲームをやっているというと「ははーんなるほど」と、ニヤニヤ笑いを伴う、したり顔で見られるようになった。そう、日本では「PCゲーム=国産18禁エロゲーム」と思われていた時期があったのだ。
 だが、コンシューマゲームマシンのスペックがあがり、PC並みの重量級作品を稼働できるようになると、もはや同じゲームがどちらでも発売されるようになり、状況が変わった。ただ、一本の大作ゲームを作るのには天文学的な予算が必要とされるようになって、タイトル数は減っていった。逆に、個人や中小規模のメーカーが作る優良インディーズゲームが、SteamやGOG.comなどのゲーム配信サイトで爆発的に増えるようになり、いつでもどこでも全世界のゲームをダウンロードで購入し、遊べるようにもなった。
 ……といった近年の状況は、このWEBマガジンを購読している方には、辻村美奈氏の記事でとうにご存知であろう。うら若き女性がPCゲームを嗜み、「すちーむまにあ」を自称し、ゲームライターをしていると聞いたときは、本当に感動し、隔世の感を抱いたものだ。
 …えーと、本文とは関係ない前書きがダラダラ長くなりそうなので、このへんで一旦停止。ええ、関係ないんです、すいません。なんのゲームをやってるのかとか、有志翻訳とはなにかとかは、また次回にでも(え? 興味ないですか? それでも書きますけどね)。

◆女性作家による女性探偵物語

 前々回のコラムで、NHKドラマの『ハムラ・アキラ』を一瞬見て、これは原作を読まねばならないと直感し、テレビを切った……というような話を書いた。全部ではないが、ざっとその足跡を追ったので紹介してみたいと思う。
 葉村晶シリーズは一言で言うなら、女性探偵ハードボイルド譚である。
 このコラムは基本的に本格ミステリを扱っており、ハードボイルドものは守備範囲外なのだが、作者の若竹七海はもともと『日常の謎』系本格ミステリ作品(『ぼくのミステリな日常』)でデビューした人だ。そして、『五十円玉二十枚の謎』の出題者として、東京創元社の謎解き作品の多くに関わっている(これについては説明が長くなるのでWikipediaのリンク先を参照)。さらに、その関連作品のひとつでもある、北村薫によるエラリー・クイーンのパスティーシュ長編『ニッポン硬貨の謎』で、探偵エラリーのワトソン役として活躍する女子大生「小町奈々子」のモデルなのだ(たぶん)。

 そんな作者の書いた、女ハードボイルド探偵。気になるよね。
 未だに「ハードボイルド」と聞くと、探偵がギャングに拳銃ぶっぱなしたり、酒場で乱闘したりするハードな暴力アクションだと思っている人がいるようなのだが、その思い込みはほぼ間違っている。まあ、そういう話だってあるのかもしれないが、少なくとも葉村晶は、暴力被害には「非常に頻繁に」あうが(ジョン・マクレーンより酷いかもしれん)、彼女自身が暴力で何かを解決するシーンはほとんどない。
 自分の決めた信条に従い、執拗にタフに、時には誰も望まない深淵まで手加減せずにのめり込む孤高の探偵。たとえどんな酷い目にあっても。それが葉村晶だ。

◆時代とともに

 葉村晶は歳を取るキャラクターだ。何年たってもかわらない「サザエさん式」の名探偵キャラクターが多い中で、こんなに着々と、歳を食っていくキャラクターは珍しい気がする。ハードボイルド探偵は、時代を反映したリアルな街の景色や世相にまみれつつ、それを掻き分けて生きていく。だから、ひとりで超然としているのは不自然と考えたのかもしれない。葉村は刊行された順に歳を重ね、境遇も目まぐるしく変化していく。
 彼女の足跡を追うべく、amazonで「女探偵・葉村晶シリーズ」を検索すると、文春文庫でまとめられた全6巻と書かれたリストが出てくる。
 
 1)『依頼人は死んだ』
 2)『悪いうさぎ』
 3)『さよならの手口』
 4)『静かな炎天』
 5)『錆びた滑車』
 6)『不穏な眠り』

 ふむふむ。これが全シリーズなのか……と思うと、実は違う。
 1)の前に『プレゼント』という葉村がデビューする短編集があり、2)と3)の間には『暗い越流』という別の短編集が入る。これらは出版社が違う(前者が中央公論社、後者が光文社)のと、葉村もの以外の短編が混じっているため、このリストに入っていないようなのだ……という事情を理解するまで、しばらくかかった。
 葉村ものは、大きく「二十代期」と「四十代期」に分かれる。二十代期は2)までで、そこから四十代期の始まりである3)の刊行までには13年の隔たりがある。当然、その間に葉村は年齢を重ねている。年齢だけではなく、仕事や住居など身辺の状況も一変する。テレビドラマ『ハムラアキラ』ではミステリ専門古書店で働きつつ、私立探偵をやっているが、これは「四十代期」の設定。ドラマの原作になったのは主に「二十代期」の作品なんだけどね。
 それらをまとめて、リストを作り直すと
 
 ▼『プレゼント』(1996)(葉村もの+小林警部補もの)
 ●『依頼人は死んだ』(2000)
 ●『悪いうさぎ』(2001)長編
 ———————–以上二十代期
 ▼『暗い越流』(2014)(橋渡し的短編二編入り)
 ———————–以下四十代期
 ●『さよならの手口』(2014)長編
 ●『静かな炎天』(2016)
 ●『錆びた滑車』(2018)長編
 ●『不穏な眠り』(2019)
 
 こんな感じだろうか。厳密に言えば『依頼人は死んだ』の途中で30歳になったはずなのだが、便宜上「二十代期」としておく。『悪いうさぎ』では31歳である。

◆葉村のデビュー短編集『プレゼント』

 『プレゼント』は、葉村オンリーの短編集ではないが、かといって寄せ集め短編の中に葉村の短編が混じっているというわけでもない。
 全8話のうち、葉村ものの短編が5話。小林警部補ものの短編が4話という構成になっている(それぞれ交互に並べられている)。計算があってないようだが、実は最終話『トラブルメイカー』は、この二組が競演するコラボ作品になっているのだ。この話は、その後の葉村ものでも言及される「どうしようもない実姉に殺されそうになる話」で、重要な里程標。ドラマでは第一話になっているようだ。冒頭から「葉村晶」がほぼ死んだ状態で発見されるという設定なのに、ムチャなことするなぁ。まあ、かなり内容を変更したのだろう。
 葉村のデビュー作品は『海の底』。このときは、雑誌の三文ライターとして登場する。
 かつて都筑道夫は、現実に目にした日本の私立探偵たち(ライセンスも、捜査権も武器もない)がアメリカの探偵のように活躍することにリアリティを感じられず、なかなかハードボイルドミステリ小説を書きだすことができなかったと書いていた。
 女性版ハードボイルド探偵を生み出そうとした若竹七海も、同じ心境だったのかもしれない。連作は、私立探偵ではなく、フリーターが事件に遭遇する形ではじまっている。葉村ものの三話め(『あんたのせいよ』)で長谷川探偵調査所に入社し、晴れて(?)探偵になった彼女。しかし、ラストの『トラブルメイカー』ではそこを辞めて、フリーになっている。わずか一冊の連作の中で(しかも半分は別のシリーズだ)、こんなに着々と歳を重ね、職業を転々とするキャラクターも珍しいだろう。この後の作品でも、長谷川探偵調査所から仕事をまわしてもらいつつ、フリーの私立探偵として二十代期を過ごしていくことになる。
 本格ミステリ畑の作者が書いたハードボイルドということで、事件の謎にもっと仕掛けを盛り込んでくることを期待したが、そちらは意外に薄かった。
 調査の先々で、人間の暗部、悪意、欲望などのドロドロとしたものがむき出しにされ、葉村は心理的にも肉体的にも打ちのめされていく。弱音もぐちも垂れ流しつつ、ストレートにぶつかっていくのが、彼女の宿命らしい。

◆もう一人の探偵役、小林警部補

 本格ファン好みの、トリッキーな物語という意味では、葉村ものと交互にあらわれる小林警部補もののほうが、その香りがずっと強い。小林警部補(とその部下御子柴刑事)が登場する一話目の『冬物語』は、典型的な「倒叙推理小説」の形態である。倒叙とは、犯人の視点で犯行の一部始終を描き、次に探偵の視点からその犯行が割れる様子を描く形式である。刑事コロンボや、古畑任三郎、最近では福家警部補シリーズなどを思い浮かべるといい(映画『ナイブズアウト』には、この要素を取り入れられているというコラムを書きましたね)。
 小林警部補は、その人を食った飄々とした様子といい、倒叙ものの先輩であるコロンボを意識した造形に見える。部下を従えているところをみると、古畑任三郎か?
 次の作品『殺人工作』も、犯罪者側からの視点で進行し、小林警部補がコロンボ型倒叙ミステリのシリーズキャラクターなのだと確信するだろう。そう思ってると、いきなり足払いをかけられるけど(笑)。
 表題作『プレゼント』ではがらりと形式が変わり、過去の殺人の関係者が集まって疑似法廷劇が繰り広げられる。倒叙ものではないが、どちらも「演劇的」な舞台設定であるところが共通していて、本格ミステリファン好みだと思われる。探偵の行動自体を描くハードボイルド小説とは異なり、事件自体を主役とするため、出番もキャラクター性もぐっと少ないが。
 『プレゼント』は、二種の違う味わいのミステリ短編群と、二組の探偵が楽しめる短編集なのだ。
 葉村人気によって小林警部補ものがオマケに見えてしまうかもしれないが、実はこっちのシリーズもちゃんとスピンオフの別物語が出ている。『御子柴くんの甘味と捜査』『御子柴くんと遠距離バディ』というタイトルだが、読んでいないので内容については書けない。小林警部補ではなく、その部下の御子柴の名がフィーチャーされていて(彼は『プレゼント』では空気である)、全然味わいが違うのかもしれない。
 次回は、円熟期ともいえる、四十代期の作品を取り上げる予定だ。

◆牽強付会のブックガイド

 途中に出てくる都筑道夫の話は、『脅迫者によろしく』というハードボイルド私立探偵小説連作のあとがきに記されている。この本は、対戦相手を死なせてしまいボクサーをやめた一匹狼の私立探偵、西連寺剛を主人公にした連作だ。本格ミステリ作家の書く、日本のハードボイルドとして大好きなシリーズだが、残念ながら「どマイナー」で、ほとんどが絶版。シリーズ最後の一冊『死体置場の舞踏会―西連寺剛の事件簿』がかろうじて電子書籍になっている。

白井 武志

早期退職後、大阪から琵琶湖のほとりに移住して、余生は釣り(トップウォーターバス、タナゴ)をして過ごす隠居。パソコン通信時代を知るネットワーカー。PCの海外RPG、漫画、海外ドラマ、本格ミステリなどを少々嗜む。

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