コロナ禍の引きこもり状況で、有志翻訳された大作RPGをやっていると、前回少し話した。あれからひと月半たったが、実はまだ終わっていない。ほぼ終盤まで来ているのだが、そこで止めて、DLC(ダウンロードコンテンツ=ゲームに追加されるシナリオなど)の翻訳の完成を待っているのであった。
海外で発売されるゲームには、「ゲーム・オブ・ザ・イヤー」などを多数受賞するなど世界的な傑作にもかかわらず、日本で翻訳されないものも多い。特に本格的な大人向けの「文字を読ませる」ゲームであるほど、「ゲーム内テキスト量が膨大で、翻訳コストがかかりすぎて無理」という事情で見送られることが多いようだ。
今や世界で最も有名で、評価され、売れているRPGであろう『The Elder Scrolls』シリーズの四作目『Oblivion』でさえ、「たのみこむ」での翻訳嘆願などを経て(僕も参加しました)、何年もかけてやっとこさコンシューマ機向けに公式翻訳されたという体たらくであった(実はその前に有志翻訳はほぼ完成していた)。日本はゲーム文化において、とっくにガラパゴス化しているのだ。
ただ、こうした状況を憂いたゲームファンの中には、個人で、あるいは有志の集まりで独自に翻訳を行うツワモノがいた。例えば、近年最も注目を浴びた大作RPG『Divinity :Original Sin 2』では、ハリーポッター全巻分より多い凄まじい量のテキストが、有志の手により、ネット上で二年余をかけ翻訳された。そのデータは無償で配布され、多くの日本のユーザーがその恩恵にあずかったのだ(後に公式にも取り入れられた)。こういうユーザー文化が成立する可能性があるのが、PCゲームが特別な可能性を持っている部分と言えるだろう。
最近やっていたゲームは、先の『Divinity :Original Sin 2』と似た、見下ろし視点のオールドスクールのRPG大作『Pillars of Eternity II: Deadfire』である。この作品の翻訳は、一人の翻訳者によって驚異的スピードとクオリティで行われている。デッドファイアと呼ばれる群島を船で巡りながら何十何百とあるクエストをこなし、荒ぶる神を追う。自由度が高く、本当に胸躍るファンタジー冒険談だ。これらのゲームは、現在Steamサマーセールで半額になってたりするので、ぜひ。
◆第二期葉村シリーズの設定を固めた『暗い越流』
さて、女性ハードボイルド探偵葉村晶の軌跡にもどろう。前回のコラムから、ちょっと間があいてしまったので、おさらいとしてシリーズのリストを再掲しておく。
▼『プレゼント』(1996)(葉村もの+小林警部補もの)
●『依頼人は死んだ』(2000)
●『悪いうさぎ』(2001)長編
———————–以上二十代期
▼『暗い越流』(2014)(橋渡し的短編二編入り)
———————–以下四十代期
●『さよならの手口』(2014)長編
●『静かな炎天』(2016)
●『錆びた滑車』(2018)長編
●『不穏な眠り』(2019)
●印が文春文庫の「葉村晶シリーズ」。▼印は、別出版社から出ている葉村モノ「も」入った短編集だ。『プレゼント』は葉村のデビュー作であり、『暗い越流』は葉村ものが二編しか入っていないが、「二十代期」と「四十代期」を橋渡しする里程標的作品が含まれており、どちらも見逃せない本といえる。
2001年の初長編『悪いうさぎ』から葉村シリーズは一旦休止し、13年の時を経て、シリーズが復活したことがわかるだろう。にわかで追っかけはじめた僕には、休止していた理由はよくわからない。おそらく当初から、人気はあったに違いないと思うのだが。
リアルタイムで歳をとる探偵、葉村晶は、その間に四十代を迎える。『暗い越流』に含まれる二短編のうち、『蠅男』では三十代後半だが、『道楽者の金庫』で四十代に突入している。両作品とも、葉村がとんでもない災禍にあい、大怪我するシーンから始まっている。「世界一不運な探偵」という設定も、このへんで完全に固まっていることがうかがえる。
それまでフリーターやら馴染みの探偵事務所の下請け探偵をするなど、ふわふわした境遇だった彼女だが、『道楽者の金庫』には〈MURDER BEAR BOOKSHOP 殺人熊書店〉というミステリ専門書店のバイト店員をすることになった経緯が書かれている。それ以後、この書店のバイトをしながら探偵稼業を続けることになり、第二期(四十代期)葉村シリーズのスタイルが固まっていくのである。
『道楽者の金庫』の成立には、実は前日談もあって、そこは『暗い越流』の作者あとがきに詳しい。この書店とその店主には現実のモデルがあり、そこに作者自身も深く関わっているのだ。
ハードボイルド探偵は作者自身の投影……なんて話はよく聞くが、この現実とクロスオーバーした設定を思いついたことが、作者が葉村シリーズを再開したくなるきっかけになったんじゃないだろうか?と妄想したりする。
妄想ついでにいうと、ハードボイルド探偵としての人生観や渋み、そして優しさは、やはり四十代が似合うという手応えを感じたのかもしれない。
80年代の米国では、若く魅力的なハードボイルド女性探偵たちが活躍する物語が書かれた。それを意識して生まれた葉村晶は、やがて年齢を重ねることによって、先輩諸氏とはひと味違う新たな魅力を獲得していったのではないか。
ミステリ古書店という舞台が与えられたおかげで、第二期の始まりである『さよならの手口』からは、実際にあるミステリの作品名やうんちくが頻繁に登場してミステリファンをニヤニヤさせるし(どうやら葉村はジャンルを問わないディープなミステリマニアだ)、これ以後の作品には、作中に登場したミステリについて登場人物の富山店長が解説するメタな読書案内コーナーがついてくるようになった。
このちょっぴりオタクな香りのする設定は、決してハードボイルドっぽくはない。むしろ若竹七海作品のもうひとつの顔である「コージーミステリ」ぽい。コージーは、ハードボイルドの対極にある作風として定義されている言葉だ。日常的でコミカルでゆるい、スイートなイメージ。葉村シリーズの表紙イラストから感じるのは、むしろこちらだろう。
実際に葉村が出会う事件の多くは、その深淵に踏み込めば踏み込むほど、重く、暗く、冷たく、苦く、狂気さえ感じさせるおぞましいものがほとんどである。その悪意の奔流は、昨今言われるところの「イヤミス」の香りさえする。
だが四十肩や霞む視力の愚痴を垂れ流し、書店の雑事を押し付けられるたびに悲惨な事故に遭遇する葉村の孤軍奮闘ぶりは、事件の闇が深くて暗いほど妙な諧謔味を生む。カッコイイけど、そこはかとない可笑しみがある。それが、後味が悪すぎる事件の僅かな救いになっているようにも思うのだ。彼女は「タフかつ優しい」ハードボイルド探偵の鏡だが、その優しさは読者にも向けられているような気さえするのだ。
ドライでビターすぎるハードボイルドに、絶妙な隠し味として混ぜられたコージーな味わい。この若竹印の独特の味を出すためには、主人公にこの背景設定と年齢を加えるのが不可欠だったのかも…などと妄想する。ここに来て、期は熟したのだ。
◆リセット後の直球ハードボイルド『さよならの手口』
橋渡し短編を継いで、第二期開幕の作品となった『さよならの手口』は長編である。書店がらみの仕事で、なぜか白骨死体と遭遇し、大怪我を負う葉村シリーズらしいオープニング。実は、そのことはメインの事件とは関係なく、入院先の病室で知り合った往年の女優から依頼を受けることになるのだ。
ある失踪人を探す依頼を受ける→過去の人間関係の秘密に分け入る→ボコボコにされる探偵→徐々に暴かれる家族間の血の軋轢→明らかになるおぞましい真実。
この失踪人探しの依頼をスタートにした、家族間のドロドロした秘密を暴き出す全体的構成は、私立探偵小説の典型的パターン。リセットしたシリーズ第二期をはじめるにあたって、あえてベーシックな形式をきちんと踏襲したように思われる。
もちろん、パターンを踏襲したといっても、事件の内容が単純なわけではない。ここに葉村が住んでいる女性だけのシェアハウス(これも第二期の設定の「コージー的」部分といえるだろう)がらみのとんでもない事件や、過去にこの失踪者を追っていた探偵が消えた問題など、複数の謎がからんできて、先の読めない展開が待っている。そして後味は苦いという言葉では足りないぐらいに、恐ろしい。
それでも終章では、探偵としての葉村晶の復活が高らかに宣言され、これからの展開を楽しみに待つことになるだろう。
次回はもう少し四十代の葉村の足跡を追います(なるべくすぐにw)。
◆牽強付会のブックガイド
失踪人探しに始まり、家庭の秘密と悲劇が暴かれるという黄金パターンのハードボイルドで、本格ミステリ好きからも支持される作品として名高い、ロス・マクドナルド『さむけ』。このタイトルが何を意味するのか明らかになったとき、背筋を戦慄が走るだろう。登場する探偵はリュウ・アーチャーである。早川ミステリ文庫のこの表紙デザインは、僕のお気に入りだ。
ロス・マクドナルドは、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーに並ぶハードボイルドの大家だが、作品の多くが品切れになっている。ただ『さむけ』は現役だし、アーチャーのデビュー作『動く標的』は創元推理文庫で新訳版が近年発行され、電子版にもなっている。
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