【隠居の書棚】 #10『静かな炎天』若竹七海

ミステリ倶楽部

 前回紹介した『Pillars of Eternity II: Deadfire』がダウンロードコンテンツまで含めて翻訳を完了したというニュースが昨晩入った。分厚い小説何冊ぶんという量の難解な英文を、わずか二年で(趣味で一人で)翻訳するという偉業には、「すごい」とひとりごちるしかない。そして、その成果を無料で享受できるという、有り難さ。
 たとえSteamのサマーセールが終わっても、大人が本気で味わう「本格的ロールプレイングゲーム大作」に一度触れてみてほしい。海外PCゲームは安いよ。セールで半額や75%オフとかザラだし。
 前回紹介した『Divinity :Original Sin 2』(有志翻訳をもとに公式に日本語化されている)とともに、至福の冒険時間が過ごせるはずだ。後者は、『ディヴィニティ:オリジナルシン2』というタイトルで、コンシューマ版(PS4とスイッチ)も発売されている(値段は高い)。
 さて、探偵葉村を追うコラムもついに三回目。どれもイントロの文章がPCゲームのことになっているが、特に何かを暗示してたりするわけではない。

◆円熟の第二期

 第二期(四十代期)を、『さよならの手口』というストレートな骨格のハードボイルドでスタートし、年齢的にも、そして環境的にも自分のポジションを確立した葉村(本人は文句たらたらだが)。ミステリ小説としても円熟期を迎えたことは、その評判が物語っている。
 年末恒例の『このミステリがすごい』では、第二期の作品は軒並みベスト5にランクインしているのだ。それまでは、葉村シリーズがこの手のランキングに入ったことないにもかかわらず。普通、こういうのってシリーズ初期のほうが取り上げられそうなのにね。
 それだけ第二期葉村シリーズは充実しているということなのだろう。作者の筆力とキャラクターの円熟がシンクロして、大輪の花が咲いたイメージである。
 『静かな炎天』は短編集だ。全6編の作品タイトルに、6月~12月までの月名が振られている。つまりこの短編集には、ある年(第一話で2014年と明記されている)のうち、後半6ヶ月間の歳時記が綴られているというわけだ。クイーンの『犯罪カレンダー』の下巻みたいだなぁと、ニヤリとしてしまった。各編のタイトルは……
 ・青い影 七月
 ・静かな炎天 八月
 ・熱海ブライトン・ロック 九月
 ・副島さんは言っている 十月
 ・血の凶作 十一月
 ・聖夜プラス1 十二月
 さらに、前の巻ではじまった『富山店長のミステリ案内』が巻末に収められていて、本文内で語られる「ミステリターム」の注釈となっている。それがあることに安心してか(?)、葉村もマニアックなミステリうんちくを、ガンガン本文につっこんでくる。葉村さん、ちょっとディープすぎない?
 さらに、十一月と十二月の二編は、有名すぎるミステリのタイトル(『血の収穫』『深夜プラス1』)のもじりであり、本文中にもそれぞれの作品の話題が出てくる。第二期葉村は「ミステリ書店探偵」の看板を背負って、ミステリオタク属性を濃厚に漂わせるのだ。

◆表題作『静かな炎天』

 一編一編、それぞれの事件が非常にバラエティに富んでいて、しかも内容が濃いのがこの短編集の特徴だ。
 事件の依頼の内容から当初想像される方向が、いつしか斜め上を行くようなぶっとんだ展開になり、ラストには全然別の景色を見せられる。骨格的にハードボイルド正統派だった『さよならの手口』に対し、短いページ数の中でジャンルを超えるような、おかしな捻じくれ方で事件が着地するのだ(もちろん、褒めてます)。
 表題作『静かな炎天』は、その典型的な例だろう。
 うだるような暑さとお盆休みで静かな町内。貧乏探偵のもとに美味しい依頼が舞い込んでは、すぐ解決しちゃってあんまり儲からない。そういう「事件」が、たてつづけに起きる。シチュエーション的には、『ミステリ書店探偵』としてのキャラを立てるためのコメディドラマにさえ見えるし、そう読んでも楽しめるだろう(NHKのドラマ『ハムラアキラ』で第二話にこれを持ってきたのも、そういう性質をこの作品が持っているからじゃないだろうか)。
 こんな書き方をしているから想像はつくだろうが、もちろんそれで終わりではない。いつの間にか緻密な伏線が敷かれ、謎解きミステリファンも膝を叩く「とびきりの終幕」が待っている。ある有名なシャーロック・ホームズ譚の、見事な応用編とも言えるだろう。

◆葉村、安楽椅子探偵になる

 脚を使って事件関係者にインタビューしてまわるのが、行動派私立探偵の仕事だ。しかし『副島さんは言っている』では、いつものように店番を押し付けられた葉村が、テレビとネットを頼りに推理をしなくてはならない。そのうえ、狭い書店に押しかけた警官隊に囲まれたままという緊迫した状況。どうしてそうなったのかは、それ自体が滅法面白いので、ぜひ本編を読んで欲しい。
 よりによって、葉村という行動派探偵が、このコラムでも何度か話題に出た「安楽椅子探偵」になる羽目になるわけだ。しかし、この物語のミステリ的に特殊なシチュエーションは、そこにだけあるのではない。葉村の推理の目的は、真相を見破ることではなく、細かい状況を論理的に組み上げた「真相っぽく見える理屈」をでっちあげることにある(なんでそうなったかも、本編をぜひ)。
 この、真相自体よりも「他人を納得させ得る理屈」をこねあげるという面白さを優先した作品は、近年特にクロースアップされている気がする。このコラムの第二回でとりあげた『medium 霊媒探偵城塚翡翠』もそういう構造を持っていたことを思い出して欲しい。
 それを意識して先鋭的にとりあげたのが、城平京『虚構推理』だった。シリーズが漫画化やアニメ化をされていて、広く知られている。「妖怪が犯した非現実的な事件を、一般人に妖怪の存在を気取られぬよう、もっともらしい合理的推理と嘘の真相で糊塗しようとする探偵」が描かれている。真相は最初から明らかになっているが、それをごまかすために、現存する材料から、でっちあげたそれらしい推理を構築するというのがミソだ。
 これは「犯罪の真相の悲劇性」を描くのが、ミステリの面白さだと思い込んでいる多くの人への、強烈なアンチテーゼと言えるかもしれない。真相の悲劇性のエモさなんかより、でっちあげであっても人を説得させ得る「論理や理屈自体」の面白さを優先するのが本格ミステリなのだ、という考え方だ。
 まあ裏を返せば、「本格ミステリの論理性なんて、つまるところ恣意的でいい加減なもんだ」という、自虐めいた皮肉ともとれるのだけれど。
 本格ミステリ的な香りが強い二作品を我田引水で紹介してしまったが、『静かな炎天』は、ハードボイルドというジャンルさえ軽やかに越境して活躍する葉村が魅力的に描かれていて、内容が濃い。
 もし、これからシリーズを読むなら、第二期(四十代期)から始めるのも悪くない気がする。さらに彼女の履歴を追いたくなったら、そこで第一期に遡るのも楽しいだろう。時代と共に成長する探偵を、俯瞰することができるはずだ。

◆テレビドラマ『ハムラ・アキラ』

 AmazonのNHKオンデマンドチャンネルを契約し、ドラマ版『ハムラ・アキラ』を視聴してみた。ドラマでは第二話(『静かな炎天』)以外は、第一期の原作を採用しているにもかかわらず、彼女がミステリ書店探偵をやっているという第二期の設定を引っ張ってきている。年齢は34歳という「原作の空白期」に設定されている。ここはシシド・カフカの年齢にあわせただけかもしれないが。
 原作の葉村の容姿は、シシド・カフカに似たところはないようだが、不思議とこれが不自然に感じない。タフでクールで容赦なく、でも不運で、不器用な葉村の様子が自然に伝わってくる。まあ、原作よりテレビの彼女を先に見てしまったので、都合よくインプリンティングされたのかもしれない。
 各話のミステリとしてのプロットやレギュラー登場人物にも、かなりのアレンジが加えられていて、中には真相がまったく違うものもある。だが振り返るとスピリット自体はギリギリ失っていない。
 「なんでも知りすぎている」まるで神の如き二枚目男がレギュラーに加えられていて、強引なキャラをねじ込んできたなと思わされた。だが、実は彼と葉村のディスカッションが、推理の過程の思考を映像上でしっかり補完する役割を果たしていて、ミステリ部分をないがしろにしないための装置になっているようにも見える。
 当初、そのご都合主義の不自然な登場の仕方ゆえに、葉村のオルターエゴを視覚化したものではないか?なんて妄想したのだが、考えすぎだった模様。まだ最終三話『悪いうさぎ編』を観てないので、正体については、なんともいえないのだが。
 原作小説を読んで間もないにもかかわらず、ドラマを楽しく観られたということは、悪くない出来だったのではないだろうか。第二期の原作が一作しかドラマ化されてないということは、次のシーズンを狙っているのかもしれない。

◆牽強付会のブックガイド

 前々回、「未だにハードボイルドと聞くと、探偵がギャングに拳銃ぶっぱなしたり、酒場で乱闘したりするハードな暴力アクションだと思っている人がいるようなのだが、その思い込みはほぼ間違っている」なんて書いた。だが、ハードボイルド小説を確立したダシール・ハメットの長編『血の収穫』は、「飛び交う銃弾、屍累々、男を操る悪女、そしてアイスピック…」と、『血の凶作』の登場人物が興奮ぎみに語る、暴力が吹き荒れる物語である。
 ギャングにのっとられ、血みどろの抗争が続く腐った町にやってきた探偵の私(名前はなく、コンティネンタル探偵社の調査員……コンティネンタル・オプと呼ばれる)が、悪い連中を焚き付け、殺し合いを煽り、悪党を一掃する。この悪い派閥同士を争わせて町を掃除するという物語のフォーマットは、以後数多くのフォロワーを生んだ。その最も有名なものが黒澤明の映画『用心棒』だ……なんてことは、この本の解説に詳しく書いてある。船戸与一『山猫の夏』や筒井康隆『おれの血は他人の血』などの、その系譜の作品を、僕も昔読んだものだ。
 ハードボイルドを語るに避けては通れない一冊。何度も訳されている名作だが、今回紹介しているのは、昨年新訳された創元推理文庫のものだ。

白井 武志

早期退職後、大阪から琵琶湖のほとりに移住して、余生は釣り(トップウォーターバス、タナゴ)をして過ごす隠居。パソコン通信時代を知るネットワーカー。PCの海外RPG、漫画、海外ドラマ、本格ミステリなどを少々嗜む。

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