七五三の着物にまつわるミステリー

スタッフコラム

七五三の季節ですね。神社の近くを通ると、七五三の服を着たお子さんの姿をよく見かけるようになりました。ちょっと誇らしげなお子さんの顔を見ると「どうかみなさん幸せに」と祈らずにはいられません。

ところでサムネイルに使った写真は、私が成人式で着た晴着です。結婚式のお色直しでもこれを着た覚えがあります。母はことのほかこの晴着が気に入っていたようで「あなたの娘にもぜひこれを着せなさい」というので、娘の成人式にもこの着物で記念写真を撮りました。母はその時、わざわざ熊本から東京に出てきて、彼女の晴れ姿を見ながら「きれいだねえ、本当によく似合うねえ」と目を細めていました。

その息子や娘も親になり、ひ孫の誕生を喜んだ私の母は「ひ孫が七五三のときに着るかもしれないから、あの晴着を仕立て直しておくからね」といって洗い張りに出しました。その後すぐに母は脳出血で倒れ、晴着が洗い張りから戻ってきたときは、すでにこの世の人ではありませんでした。だから今も、この着物はそのまま保管されています。

せっかくだから母の希望を叶えてやりたいと思い、久しぶりにこの着物を出して眺めてみました。少しクラシックな柄ですが、どことなく上品です。七五三の「三才」には間に合いませんでしたが、せめて7才のときに着られるように、仕立てに出しておこうと思いました。

そこでふと、不思議なことに気がつきました。彼女が倒れる前、ひ孫は3人でしたが、すべて男の子でした。そして彼女が亡くなったあと、立て続けに女の子が2人、生まれました。まだ女の子のはいなかったのに、なぜ母は晴着を洗い張りに出そうと思ったのでしょう。まぁ結果的には彼女の思惑通り、この晴着を七五三の着物に仕立て直すことになりましたが、なぜそうなることを彼女は知っていたのでしょうか。あるいは、この着物にかけた彼女の思いが、ふたりの女の子をこの世に誕生させたのでしょうか……。考えれば考えるほど、不思議です。

井上 真花(いのうえみか)

井上 真花(いのうえみか)

有限会社マイカ代表取締役。PDA博物館の初代館長。長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都台東区に在住。1994年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「マイカ」を設立。主な業務は、一般誌や専門誌、業界紙や新聞、Web媒体などBtoCコンテンツ、および広告やカタログ、導入事例などBtoBコンテンツの制作。プライベートでは、井上円了哲学塾の第一期修了生として「哲学カフェ@神保町」の世話人、2020年以降は「なごテツ」のオンラインカフェの世話人を務める。趣味は考えること。

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