「週刊ポッドキャスト生活」でおなじみの佐藤新一さんが、ご自身のポッドキャストでこの本を紹介されていたので、私も読んでみることにしました。
同名の映画は2005年に公開されていて、こちらをご存じの方は多いのではないでしょうか。寺尾聰と深津絵里が出演し、話題になりました。
ざっと内容をお伝えするために、映画のあらすじを引用します。
80分しか記憶がもたない天才数学博士と家政婦とその10歳の息子。驚きと歓びに満ちた日々が始まった。不慮の交通事故で、天才数学者の博士は記憶がたった80分しかもたない。何を喋っていいか混乱した時、言葉の代わりに数字を持ち出す。それが、他人と話すために博士が編み出した方法だった。相手を慈しみ、無償で尽くし、敬いの心を忘れず、常に数字のそばから離れようとはしなかった。その博士のもとで働くことになった家政婦の杏子と、幼い頃から母親と二人で生きてきた10歳の息子。博士は息子を、ルート(√)と呼んだ。博士が教えてくれた数式の美しさ、キラキラと輝く世界。母子は、純粋に数学を愛する博士に魅せられ、次第に、数式の中に秘められた、美しい言葉の意味を知る――。
https://www.asmik-ace.co.jp/lineup/1296
私は数年前、オンライン配信でこの映画を見ました。そのときの記憶は曖昧ですが、とても好印象だったことを覚えています。
しかし佐藤さんは、ポッドキャストのなかで「電車のなかでこの本を読み始め、序盤で涙が溢れた。でも映画を見たら、全然違っていた。原作のほうがいい」と話していました。原作には佐藤さんが「電車のなかで泣く」ほどの感動があるらしいと知り、それなら読んでみたいと思ったんです。
電子書籍って便利ですよね。読みたいと思った瞬間、その本を手にすることができるんですから。というわけで、昨日の午後、仕事が一段落したタイミングで本書を手に取り、約4時間かけて読みました。
私はすでに映画の内容を忘れていたので、映画との比較はできませんが、原作の素晴らしさは十分感じることができましたし、正直言うと、ちょっと泣きそうにもなりました。
この記事では、私が感じたことを少しだけお話したいと思います。
1. ルートの存在
ルートとは、家政婦さんの息子さん(10才)に博士がつけたニックネーム。家政婦さんの家族は息子さん一人だけで、それを知った博士が「子どもを一人にしてはいかん!」と主張し、家政婦さんと一緒に博士の家で過ごすことになりました。
母親から見ると、息子であるルートは特別な存在です。しかし、自分以外の大人に特別な存在として扱われていないことを少し気にしていました。ところが博士は、会った瞬間からルートを特別扱いし、この上なく丁寧に接します。
記憶が80分しかもたない博士ですから、その特別扱いがルートとの関係の上に成り立っているわけではありません。博士にとっては「どの子ども」も特別なんです。ただ、彼の目の前にいる子どもはルートだけなので、自ずとルートが特別な存在として扱われることになります。
大切に扱われることで、ルートもまた、博士を大切な存在と感じるようになっていきます。家政婦さんにとっても博士は特別な存在ですが、ルートのそれはさらに強いように感じられました。作品のなかで、ルートが母親に対して少し心を閉ざすシーンが出てきます。そのときの彼の言葉を聞くと、ルートのなかでどれほど博士の存在が大きいかが理解できます。
2. 家族のあり方
博士には、ひとりだけ家族がいます。亡き兄の妻、つまり博士にとっては義姉です。彼女は別棟に住んでいて、滅多に博士と接することはありません。そこにはいろいろと事情がありますが、ここではその説明は割愛します。
家政婦さんと博士は、もちろん家族ではありません。1対1のときは、なおさら距離を保って接しているように見えました。しかしそのなかにルートが入るだけで不思議な空間が生まれ、この3人があたかも家族のように見えてきます。ルートがいて、彼を大事に思う大人が2人いる。ルートはその2人の愛を感じ、安心して過ごすことができる。この3人それぞれの気持ちが、お互いを思い合う家族のような雰囲気を作り出しているのだと感じました。
そこで私はちょっとした疑問を持ちました。家族って、なんだろう? 以前、哲学カフェでも家族というテーマで話したことはあり、そのときに出てきた主なキーワードは「血縁」「家」「制度」でした。私には、それが家族にとって重要なものとは思えませんでした。なにか違う、大事なものが欠けている……そんな印象でした。
しかし「博士の愛した数式」を読んだとき、私は深い納得感と共に「これが家族だ」と感じました。家族に必要なものは、血縁でも家でも制度でもない。一緒にいて安心できる場があり、その場を成立させる構成員として欠かすことのできない存在、それが家族なんだと。
3. 数式の美とは
私はとても数字に弱いので、この「数式の美しさ」に関しては全く理解が及ばず、本書を読む上でそれが大きな支障になっていると感じました。苦手意識を持つ前に、もっとちゃんと勉強しておけばよかった……。
数式ではありませんが、「友愛数」や「完全数」の美については、少しわかった気がします。この作品のなかでは、その美について、とても文学的に描かれています。その表現を読む限り、という話にはなりますが、私にも少しわかったような気がしました。
この物語の中盤、博士がメモ用紙に書き付けた一行の数式が重要な役割を果たすという、とても印象的なシーンがあります。その数式が、これ。
「オイラーの公式」と呼ばれるものだそうです。
博士がこのたった一行の数式を書いただけで、ある人の気持ちがガラッと変わります。なぜそんなことが起きたのか、家政婦さんにはわかりません。その後、彼女は図書館に行き、この式について調べます。
作中では、かなりのページを割いてこの式について説明していますが、残念ながら私には理解できませんでした。そこで、インターネットで調べてみたところ、こんな記述が見つかりました。
図形の性質について研究する幾何学は、「円周の長さ ÷ 直径」として円周率 π を定義し、
https://atarimae.biz/archives/10492#i-4
方程式の解き方を研究する代数学は、「i × i =-1」となる数として虚数単位 i を定義し、
関数の極限や微分・積分について研究する解析学は、ネイピア数 e を定義しました。
全く関係のないところから出てきたこれら3つの値が、「eiπ + 1 = 0 」というシンプルな1つの式で繋がる。
それが、オイラーの等式です。
(中略)
オイラーの等式は、解析学・代数学・幾何学という異なる分野において定義された全く起源の異なる3つの数「e,i,π」が、「1」と「0」という数学の基礎となる数とシンプルな1つの式で結び付けられることから、「数学史上最も美しい等式」としてよく取り上げられます。
悲しいことに、この説明を読んでも、私にはこの式がどんな役割を果たしたのかは理解できません。ただこれが「美しい等式」ということはわかるような気がしました。美しい、というより、不思議といったほうが、私にはわかりやすいかも。いずれにせよ、「数式には驚きや美がある」ということはわかりました。
以上、私が感じた3つのポイントについて解説しましたが、私が泣きそうになったポイントは「1. ルートの存在」でした。誰かが誰かを大切に扱うということがとても大きな意味を持つということを、改めて深く感じました。
それは、家族に限らなくてもいい。多分、人間でなくてもいいんです。目の前にいる「あなた」がとても大切で、敬うべき存在であるということを、私もちゃんと(恥ずかしがらず!)表現していこうと思いました。
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