私がお手伝いしている哲学カフェ「なごテツ」のブログで、先日、こんな記事がありました。
それがいつのまにか、桜の花びらが風に舞う姿を見ると、記憶があふれ出るようになっていた。(中略)小さな雪が景色を一変させるように、降り積もった経験は景色を鮮やかに染め上げていく。色褪せたはずの記憶さえ、新たな意味をもたらしてくれる。わたしの中で意味が変わるのはいつなのだろう?
https://nagotetsu.hateblo.jp/entry/2023/03/27/000000
私は今、まさに桜前線を追って西日本を旅しています。各地で目にする桜は、どれも少しずつ違っていて、中には少し味気なく感じる桜もあります。このとき、私は「桜はもっと、脆く切なく美しいはずなのに…」と感じているようです。ではなぜ私は、桜に脆さと切なさを求めているのでしょうか。そんなことを考えながら、こんなコメントを書いてみました。
昔の写真を見ると、なんとも言えない気持ちになるよね…と友人と話したことがありました。写真に写っているのは母の笑顔なのに、その母がもうこの世にいないと思うと寂しい気持ちになる。それは、ただ「母がこの世にいないから寂しい」のではなく、その時代、その空間がもう2度と戻ってこないということを、改めて思い知らされたから。その空間で母と一緒に笑っていた私ごと亡くなってしまったと感じるから。
https://nagotetsu.hateblo.jp/entry/2023/03/27/000000
この世に変化しないものなんてないと知っているはずのに、なぜか変化を受け入れがたく感じてしまうことがある。そんな私の勝手な思いを景色として表現したら、桜吹雪が舞い散る校庭になりそうです。
つまり私は桜そのものではなく、桜が散っていくその様を見て脆さと切なさを感じていたのでしょう。桜が咲き、散っていく。それは当たり前のことなのに、なぜかその変化…つまり時間の経過を受け入れがたく感じてしまう。その「受け入れがたい時間の経過」の象徴として桜をイメージしていたのかもしれません。
なんてことを考えながら、ChatGPTにこんなことを聞いてみました。
なぜ日本人は桜の花が好きなのでしょうか。
するとこんな回答が返ってきました。
まず、桜は日本人の歴史や文化に深く根ざしています。古代から桜は日本人にとって重要な意味を持っていました。日本の歴史書「古事記」や「日本書紀」にも桜の花が登場します。また、桜は日本人の美意識を象徴しています。桜の花は短い期間しか咲かないのにもかかわらず、その美しさや儚さが人々の心に深く残ることから、日本の芸術や文学に多く取り上げられています。
次に、桜の花は日本人の自然への敬意を表しています。桜は自然の摂理に従って咲くため、日本人にとって自然と調和した美しいものとして大切にされています。また、桜の花は寿命が短く、咲き終わるとすぐに散ってしまうため、この儚さから「一期一会」という言葉が生まれました。これは、一瞬の出会いや別れを大切にする精神を表す言葉であり、日本人の生き方に深く根ざしています。
さらに、桜の花は日本人にとって新しい始まりや希望を象徴しています。桜の花は春に咲き、新しい生命や新しい季節の始まりを告げます。また、春には新しい学年や新しい職場に入る人が多く、桜の花は彼らにとって新たな始まりへのエールとなります。
やはり「すぐ散ってしまう」あたりに桜の魅力がありそうです。一期一会が日本人の生き方に深く根ざしているというのは、もしかするとChatGPTくんの主観?なのかもしれませんが、確かにそういう要素も含まれているかもしれません。
変化を受け入れがたく感じる…と書きましたが、ChatGPTくんが指摘しているように、春は新しい季節の始まりでもあります。変化をスタートと置き換えて考えれば、未練を断ち切って前に進んでいけそうな気もします。なにかを手放して、なにかを手に入れる。私たちの毎日は、その繰り返しなのかもしれませんね(「TOKYO」by YUI)。
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