私の実家がある熊本県上天草市は、野鳥保護区として指定されています。カモメや鴨、かいつぶり、とんび、サギなど多種多様な野鳥がそこで暮らしていて、さながら鳥の動物園のよう。鳥が飛び交う姿を見ていると、飽きることがありません。
ある日、海上に一羽のカモメが浮かんでいました。そのカモメは泳ぐでもなく、飛ぶでもなく、ただのんびりと漂っています。「一体なにをしているのだろう」とつぶやくと、隣にいた父が「自分を鴨だと思っているんだよ。だからああやって、ずっと仲間が来るのを待っている」といいました。
父は毎朝、海岸を散歩しています。そのとき、このカモメをよく見かけたそうな。以前は鴨の群れの中にいて、カモメの群れがやってきても、その中に入っていかなかったとのこと。知らん顔して、鴨の中に居続けるのだそうです。父は「どういった経緯があったかはわからないが、おそらく自分のことを鴨だと思い込んでいるのだろう」と言いました。
鴨は渡り鳥です。この季節になると、北の方角に飛んでいってしまいます。だから、いくら待っていても仲間が来るはずはありません。それを知らない彼は、ああやって待ち続けているのでしょう。気の毒だと思いますが、それを知らせる術はなく。言葉が通じるのであれば「鴨たちは来年にならないと戻ってこないよ。だからカモメのところに行きなさい」と伝えたいところですが、たとえそう言ったところで「そんなはずはないよ」と無視されるでしょう。
彼の世界は、彼の中にあります。その世界の外にいる私がなにを言ったところで、彼の世界はなにも変わりません。むしろ彼のほうこそ、こんなことを思っているかもしれません。「あいつは自分を人間と思っているようだ。真実を教えてあげたいけど、きっとわかってもらえないだろう。ここは黙っておこう」。
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