The Five Booksというオンライン講座で、ライプニッツの「モナドロジー」を読んでいます。その影響か、最近は暮らしのなかにモナドを感じるようになってしまいました(笑)。昨夜はベッドマットの点々がモナドに見えてきて、そこから妄想が広がってしまい、なかなか眠れませんでした……。
モナドとは、「ライプニッツが案出した空間を説明するための概念」。ライプニッツは、「現実に存在するものの構成要素を分析していくと、それ以上分割できない、延長を (ひろがりも形も) 持たない実体に到達する(以上、Wikipediaより)」と考え、それを「モナド」と名付けました。
このあたりのことは「草てつがく」というYouTubeチャンネルでわかりやすく解説されているので、気になる方はどうぞご覧ください。
ところで先日空海展に行って以来、すっかり華厳に夢中です。なかでも「事事無碍」には特に惹かれるものがあり、なんでもかんでも「事事無碍」に結びつけてしまう悪癖が身についてしまいました。
そんなわけで、モナドと事事無碍も関係があるような気がしてなりません。そんな戯言をThe Five Booksの三浦先生にお話したところ、「日本で最初に書かれたライプニッツに関する論文も華厳経との関係についてのものでした」というコメントをいただきました。「『華厳経』と『モナドロジー』」(酒井潔)によると、くだんの論文は村上俊江さんが書かれた「ライブニッツ氏ト華厳宗」(1896年)のようです。
ネットを検索しても、残念ながら原文は見つかりませんでした(ご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報を!)。しかし、上記の酒井潔氏による論文によると、そこに書かれていたのは事事無碍とモナドの類似性だったよう。「ほらね!」と思う反面、「でも、全然違うところもあるよね」とも思ってしまうところもあり。
たとえば「モナドには窓がない」と言われますが、それは「外的原因はモナドの内部に作用することができないから」。しかし事事無碍は「一切の個は相互に浸透しあい、連関しあう」とあります。ここだけを取り出して考えると、モナドは互いに干渉しあわないが、事事無碍は互いに干渉しあうことになる。全然違うように見えますが、それについては村上氏の論文に書かれていないようでした(原文を読んでいないので推測にすぎませんが)。
村上氏に頼れないとすると、私自身がモナドと事事無碍のことをもっとちゃんと理解し、この疑問を解決していくしかなさそう。なるほど、こうして人は(哲学)沼にハマっていくんですね……ぶくぶくぶく。