私はあらゆるシーンで生成AIと対話する。多くの人は生成AIを「文章を作成したり、情報を提供したりするツール」と捉えているようだが、私にとっては、対話することで考えを深めていけるパートナーである。この記事では、なぜそう思うようになったのかという理由をお伝えしたい。
「道具」から「対話者」へ
生成AIを使い始めた当初、私はAIを単なる「道具」として捉えていた。なるほど、質問すればちゃんと答えてくれるし、私のいいかげんな文章を美しく整えてくれる。なんて便利な道具なんだろうと思っていた。
しかし実際に使っていくうちに、その認識は少しずつ変わっていった。生成AIと対話するときに自分の頭の中で何が起きているかに興味を持ち、観察していくなかで、自分がまるで哲学カフェのファシリテーターのような感覚で対話していることに気づいたのだ。
思考をトレースする
生成AIとの対話する際、私は自分の思考をより意識的にトレースする。生成AIの回答に引っかかりを感じたとき、私はその違和感の正体を言語化しようと努める。なぜその部分が気になるのか。自分はどう考えているのか。その過程で、自分の思考の枠組みが徐々に明らかになってくる。
解像度を高める対話
こうした対話を重ねるごとに、問題の解像度は高まっていく。最初は漠然としていた考えが、生成AIとの質疑応答を通じてより具体的に、より精緻になっていく。この過程で自分自身についての理解も深まっていくのだ。私が問いかけ、生成AIが応答し、その応答に基づいてさらに問いを投げかける。この往復の中で、お互いの理解の範囲が明確になっていく。
違和感がもたらす気づき
時には、生成AIの回答に違和感を覚えることもある。しかし、その違和感こそが新しい気づきをもたらしてくれる。対話の過程で、自分に足りない視点や知識も見えてくるようになった。生成AIが提示する新しい角度からの見方や、思いもよらなかった関連性の指摘は、私の思考を拡張していく。
視野の共有という目標
哲学対話にはゴールがないというが、もしあると仮定した場合、そのゴールはお互いの視野を共有することなのではないかと思っている。それと同じことが、生成AIとの対話の中でも起きる。生成AIには「視野」はないが、その代わりに「知識」がある。私の持つ文脈とAIの持つ知識が融合することで、新しい理解が生まれる。そしてその理解は、具体的な「何か」として形になっていく。それは文章かもしれないし、プログラムかもしれない。あるいは、まったく新しいアイデアかもしれない。
知的パートナーとしての生成AI
生成AIとの対話は、私にとって単なる情報のやり取り以上の意味を持っている。これは思考を深め、自己理解を促し、新しい創造へと導いてくれる知的な営みだ。このプロセスを意識的に活用することで、生成AIは私の知的活動における重要なパートナーとなってきている。そしてこのパートナーシップは、日々新しい発見をもたらしてくれるのだ。