おめでとう、子供たち。
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伊丹の叔父は、父方の親戚だ。父の弟にあたるのだが、市内で総合病院を経営している伊丹家に養子に入ったので、苗字が違う。近くにいる親戚はお互いだけということもあって、いろいろ坂下家の面倒を見てくれるのだ……お節介なほどに。
耕治が学校を休みはじめたのは、七月を過ぎたあたりからだ。
期末が近いということもあり、母は心配して、あれこれ世話を焼いてくれた。耕治はからだの不調を訴え、そのくせ病院や検査は拒否して、ただいつまでもベッドの上でくすぶりつづけていた。
ちょうど万引きで補導された直後で、母は耕治をなぐさめることに必死だった。耕治は申し訳なく思いつつも、そんな母を拒絶することしかできなかった。
夏休みを過ぎ、二学期がはじまる頃になると、緊張はピークに達した。階下から聞こえてくる母の泣き声を聞きながら、耕治は漠然とした情けなさに、ぼんやりと浸っていた。
母が、伊丹の叔父に泣きつくであろうことは、そのころから分かっていた。
母は、古風というか、男の人がいてくれないと、という考えにすがりがちな人だ。父がいれば、独断で何かを決めることをせず、まず父に最終決定権を委ねる。父が日本にいないときは伊丹の叔父さんに泣きつき、「藤二郎さん、なんとかして」でケリだ。
そんな母が経営者として有能というのは七不思議のひとつだけれど、あんがい、“円卓の騎士とグネヴィア王妃”のノリでうまくいっているのかもしれない。大人の男というのは、女の人に頼られるとうれしいものらしいから。
不在がちの父の留守を預かる叔父にしてみれば、この手のトラブルシューティングは慣れたものだった。ある休日の夜、家にやってきて、母と耕治のあいだの緊張関係を見てとると、あっさり母にリタイアをすすめた。喜んだのは母で、さっそく家のことは放棄して、仕事に邁進しはじめた。
そして、叔父の紹介で家政婦(最近はホームヘルパーとかなんとか言うらしいが)を雇うことになり、やってきたのがタカコさんというわけだ。
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